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メンヘラの精神構造
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生き方・教養
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第1章 なぜ、あの人はいつも不満なのか?

『メンヘラの精神構造』
[著]加藤諦三 [発行]PHP研究所


読了目安時間:30分
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●同じ言葉でもメンヘラ社員の受け止め方は違う


 ハーヴァード大学の心理学者エレン・ランガー教授(1947~)は「感情はとらわれに基づいている(註2)。」という。

「感情を引き起こす大半のものは学習された者である(註3)。」


 私たちはいろいろな事実を経験する時に、それが唯一の事実と考えている。


 しかしその事実はそのままでも、私たちの心が変われば、その事実は違ったものになる。入力情報は、脳の中にすでにある答えを引き出すための検索情報に過ぎない、という主張もある。



 20世紀初頭、アメリカの行動主義者ジョン・ワトソン(1878~1958)は、赤ん坊はパブロフの犬と同じように、条件付けられると主張した。たとえば、小さな子どもがウサギと遊んでいる時に、ドカーンというような大きな音を聞かせると、子どもは以後、ウサギを怖がるようになる。


 しかし、少しずつ遠くからウサギを子どもに慣らしていくと、逆のプロセスをとって慣れていく。治療は可能だという(註4)。


 ウサギという事実は変わらない。しかし、その子にとってウサギは変わった。ウサギは好きなものから怖いものに変わった。


 会社の部長という事実は変わらない。しかし、部下の心が変われば、部下にとって部長は変わった。


 心理的に健康な部下と、心理的に病んだ部下では、同じ部長の言葉を違って受け取る。心理的に健康な社員とメンヘラ社員では、同じ上司も同僚も部下も違って見える。



 例えば、自己蔑視しているメンヘラ部下である。部長の普通の言葉を「自分をバカにしている」と受け取る。自己蔑視を受け身で(がい)()すると「バカにされている」と解釈する。


 外化とは、心の中で起きていることを、現実と思うことである。


 もちろん逆も同じである。部下は同じ部下でも、上司が変われば、上司にとって部下は変わった部下になる。


 今までは同じ部下でなんとかやっていかれた。しかし、その同じ部下なのに新しい部長は神経症的である。メンヘラである。すると、こんな部下ではとても部長の責任は果たせないと嘆く。ひどいことになったと社長に騒ぐ。

●被害者を装って相手を攻撃


 メンヘラ社員は騒ぎ嘆くだけで、困難に具体的に対処しない。


 過度の被害者意識は、攻撃性の変装した意識である。苦しみは非難を表現する手段である(註5)。


 ひどい目に()った、ひどい目に遭ったと騒いでいるのは、誰かを攻撃しているのである。弱いからハッキリと怒りを表現できないで、被害者意識を強調しているだけである。


 被害者意識を強調しているのは、私をもっと大切にしてくれ、私をもっと褒めてくれ、という叫びである。その欲求を満たしてくれないから怒りが湧く。依存心と敵意である。その怒りが変装して表現されてくるのが被害者意識である。



 メンヘラか心理的健康かは、部長のポストか部下のポストかは関係ない。問題はその人のパーソナリティーである。心理的に健康な新入社員もいれば、心の病んだ課長もいる。心の病と会社のポストは関係ない。


 依存心から生じた怒りを持った社員の攻撃性は不可避である。攻撃性や憎しみはみじめさの()()に変容する。


 攻撃性は猛烈に働くことに変装する場合もある。攻撃性は巧妙に「弱さ」に変装すると、精神科医アルフレッド・アドラー(1870~1937)はいう。



 攻撃性の変装についてはアドラー以前から指摘されている。


 みじめさの誇示は一般的なことであるが、受け身で表現されて、嫉妬や妬みに変装する。それ以上に一般的に変装するのは猛烈に働くことに変容することである。


 心臓病になりやすいタイプとして長いことタイプAという性格が言われてきた。タイプAは猛烈に働いているほうが、肉体的には辛いが、心理的には楽である。


 それは敵意が猛烈に働くことに変容しているからである。敵意を直接的に表現するよりも、変容して表現しているほうが心理的には楽だからである。


 タイプA的な人は「自分は今無意識に大量の敵意を抱え、それに動かされているのだ」ということを自覚していないことが多い。しかしそれを自覚しない限り、追われるように仕事をする気持ちから解放されることはない。


 自分の敵意がものすごいからと言ってその敵意という感情を自分が意識しているとは限らない。


 人は自分の最も強い感情を自分が意識しているとは限らない。

「神経症者は死ぬまで働く」とアルバート・エリス(1913〜2007)は言っている。そしてさらに「自己受容している人は平均人より働くが、働き過ぎない」と付け加えている。それは他人からの評価をうることに執念を燃やさないからだという。働き過ぎは名誉ではない。


 表現されない怒りで、死に追いやられるということである。



 怒りは猛烈に働くことに変容する。


 依存心の強い人に攻撃性は不可避であるが、それは憎しみの変装し、強迫性を持つ。


 被害者意識は攻撃性の変装した意識である。


 苦しみは非難を表現する手段である(註5)。



 攻撃は「欲求不満の原因とみなされる対象にむけられることがあるかと思うと、全然無関係なものに置きかえられること(註6)」もある。


 全然無関係な人に攻撃を向けるということが問題なのである。夫に不満な奥さんが隣の家の工事を妨害する。上司に不満なビジネスパーソンがしつけと称して子どもをいじめる。



 心理的成長につまずいた場合には攻撃性は不可避である。

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