『メンヘラの精神構造』
[著]加藤諦三
[発行]PHP研究所
●日本特有「メンヘラ」が出現した理由
ナルシシストの攻撃性は弱さに変装する場合がある。その強烈な攻撃性が、悲観主義に変装して表われる。
これが、日本が世界一悲観主義の国である理由である。
World Opinion Updateが次のような質問をする。
2004年、これからの12カ月でのあなたの人生は一般的にどうなると期待するか?(註60)
Betterと答えた人の割合は、アメリカ38%、ドイツ11%、スペイン28%、フランス27%、イタリア20%、イギリス32%である。
そこには6カ国しか出ていないが、アメリカ人がもっとも楽観主義者である。
国の経済的なことでも、国の雇用状況でもみんなアメリカが一番楽観主義である。
これから5年間の間にあなたの個人的な状況は改善すると思うか? についても同じである。
「改善すると思う」が先の国順にいうと、アメリカ55%、ドイツ18%、スペイン50%、フランス44%、イタリア44%、イギリス50%である。アメリカ人が一番「自分の生活は改善される」と思っている。
現実に「5年前に比べて自分の生活は改善されたか?」ということになると、決してアメリカ人が一番改善されている訳ではない。
わずかではあるが、イギリスが一番改善されたといっている人が多い。三番がなんとアメリカである。
過去を考えると、決してアメリカが一番改善されているわけではないが、未来を考えると一番「改善される」と思っている(註60)。
本当にアメリカ人は、我々から見ると底抜けな楽観主義者なのである。ギャラップ世論調査の言葉を使えば、スーパー楽観主義者である。
2004年の前の年の2003年については、個人的期待として2003年はよりよくなるか、同じか、悪くなるかという質問に63カ国の名前が出ている国際比較がある(註61)。
63カ国中、最低が日本である。しかもダントツに低い。
日本以外は、どの国もBetterと応えた人は二桁。日本だけが一桁の9%である。ダントツに低いというよりも、日本は例外と考えたほうが良いかもしれない。
南アフリカ29%、ウガンダ42%、カメルーン43%、ナイジェリア68%、香港32%、インド37%、ニュージーランド63%、マレイシア44%、アメリカ64%、パナマ53%、コロンビア52%、カナダ59%、エジプト54%、トルコ67%、イスラエル29%、エストニア44%、ジョージア46%、コソボ74%、デンマーク54%、イギリス41%、ドイツ22%、フランス37%。
とにかく、世界中どこもここもそれなりの%である。
日本だけが、世界のあらゆる地域の中でダントツに低い。例外的に将来に対して悲観的である。
世界一悲観的な日本と、世界一楽観的なアメリカで同じ経済原則を機能させようとすることにそもそも無理がある。つまり、グローバリズムが良い効果を表すためには「心」を考慮に入れる必要がある。
先の比較でアルバニア人とセルビア人の対立から戦争状態のコソボがアメリカよりも高いが、それは紛争の最中で特殊な状態にある。
平常な状態で考えればやはりアメリカが世界一楽観主義であると考えて良いだろう。
世界一楽観主義であるアメリカを世界一悲観的な日本人が解釈するのだから、アメリカの解釈を間違わないほうが不思議なのかもしれない。
悲観主義の調査と違って、被害者意識について世界的な調査を知らないが、おそらく被害者意識についても日本は世界でもっとも高い国ではないだろうか。その原因はもちろんナルシシズムである。
日本を解くキーワード、それはナルシシズム。メンヘラという奇妙な言葉が使われ出したのは、その本質が今の日本人に適合しているからだろう。
●被害者じゃないのに被害者意識でいるからおかしい
子どもが怪我をした時には、母親は子どものことで頭がいっぱいで、他のことに気がまわらない。あるいは、子どもが受験の時には「お受験ママ」は子どもの受験のことで頭がいっぱいで他のことに気が回らない。
自己執着の強い人は、自分のことで頭がいっぱいで、他の人のことにまで気が回らない。他人に迷惑をかけても、迷惑をかけているということに気がついていない。だから、自己執着の強い人は、いよいよ孤立してしまう。
あるいは、被害者意識からしか物事を見られない人もいる。一面的な視点の人である。
逆に過度の加害者意識を持つ人もいる。その中には被害者意識の反動形成の人もいるに違いない。実際は、被害者ではないのに被害者意識で行動をするから、どうしても人間関係でトラブルを起こす。
いつも人間関係でトラブルを起こす人は一度自分の視点を反省することである。
被害者意識はナルシシストの意識である。ナルシシズムが傷つけられた時に、強烈な怒りが生じる。被害者意識はナルシシズムの歪んだ表現である(註62)。
被害者という犠牲者の役割は、相手から同情を求めることで、周囲の人と幼児的関係を維持するためである。
「私は被害者」というのは自分の敵意を否定しながら、怒りを表現する方法である。
さらに被害者意識は同情を求めている。「世話をしてくれ」という要求でもある。
何度も言うようにナルシシズム的損傷に対する防衛として、被害者の立場をとる。
ナルシシストは心の傷を回復するために、犠牲者の役割にしがみついている。
「私ばかりつらい目に遭う」というのは被害者意識である。これは自分の敵意を否定しながら、怒りを表現する方法である。
先の論文のナルシシズムの解釈を応用すれば、こういう人たちはナルシシズム的損傷に対する防衛として、被害者の立場をとっている。
心の傷を回復するために、犠牲者の役割にしがみついている。
●「私ばかりつらい目に遭う」と思い込んでいる人
「私ばかりつらい目に遭う」と言っている人は、自己犠牲は最終的に人間関係に望ましくないということに気がついていない。