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それはデートでもトキメキでもセックスでもない 「ないこと」にされてきた「顔見知りによる強姦」の実態
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ルポ・エッセイ
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2019年版によせて

『それはデートでもトキメキでもセックスでもない 「ないこと」にされてきた「顔見知りによる強姦」の実態』
[著]ロビン・ワーショウ [訳]山本真麻 [発行]イースト・プレス


読了目安時間:13分
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グロリア・スタイネム



 私の母が高校生だった頃、「レイプ」は新聞記事向きの言葉ではなく、記者はばか丁寧な婉曲語「性的ないたずら」を用いていたそうだ。私が高校生だった頃、あるクラスメイトがガレージに閉じ込められ、高校のアメリカンフットボールチームの選手に集団レイプされた。それ以来その子はひそひそ話につきまとわれ、面目をつぶされた一家は引っ越して行ったというのに、アメフトチームは地元の誇りでありつづけたうえ一部の選手は大学の奨学金まで手に入れた。一生を台無しにされるのは、決まってレイプされた女性側のようだった。刑事司法制度がレイプ犯に与えるべき懲罰よりもずっと、被害者が社会から受ける罰のほうが大きかった。


 警察や世間を前に体験を語ってきた勇敢な「サバイバー」たちや最近の#MeToo運動とTime's Up運動が功を奏して先に述べたような事態が減少しつつあるとしたら、私たち一部の人間が希望を抱く気持ちを、わかっていただけるだろうか。私たちの世代は、性暴力が基本的には報道されず、話題にすら上らなかった時代を知っているのだ。


 今、多くの国が性暴力に関する統計データをありとあらゆる形式で収集し、国連や各国行政体は性暴力の実態をまとめた国際報告書を発行している。報告書からわかるのは、セクハラや名誉殺人(訳注:婚前交渉などにより一家に不名誉をもたらしたとして当人を殺害する風習)、女児殺害に至るまでの性暴力が、人類史上初めての「女性の数が男性の数を下回る」世界を作ったことだ。国連人口部によると、2016年の男性の人数は女性の人数を6600万人上回った。


 この残酷な現状を容認しがたいものと見て、世界各地で大勢の女性、そして男性までもが醜悪な事実を変えようとデモ行進を行い組織を結成しているのにも納得していただけると思う。私たちもライターとして、またオーガナイザーとして、現状を変えるための活動を本書の中でも支持している。皆さんにも家庭、職場、街角で、何かしらの方法で参加してもらえることを願っている。


 いつ、どのような理由から参加しても、性暴力と闘うこの世界規模の活動はあなたを温かく迎え入れるし、あなたを必要としている。性暴力を減らすには、多様なエネルギーとアイデアからなる世代を超えた地球規模の大波を起こす必要があるだろう。それはたとえば個人的な体験の公表やインターネット上の活動、勇気と忍耐の両方を持ち、大声を上げることや教育を考え直すこと。家父長制のおおもとの定義は、権威や家系、命名、財産が男系継承され、女性と子どもを男性の従属物として扱う家庭や国家を指す。これはつまり、男性や、男性支配の政治制度と宗教制度が、生殖をコントロールするために女性の身体を支配すべきだと言っている。数多くの社会で、生殖の支配は家柄、カースト、階級を維持する長期的な戦略としても重要視されている。


 しかし単純な真実として、どんな性別、人種、カーストや階級に分類されていても、私たちは人間という何よりも大きな共通点を持っている。そう認識することが、あるグループが別のグループを力で支配する文化に終わりをもたらすだろう。実際、人間が別のグループを支配する際には必ず暴力や暴力の脅威を伴う。これはときに、文化として継承され強制されてきた、「男らしさ」とは支配、「女らしさ」とは服従という役割分担の形をとる。もしくは、一部地域で女児に行われる陰核切除や、アメリカで女性が殴打され殺害される事件などの身体的な暴力という形を。いずれにせよ、支配的な行為は見知らぬ他人よりも身近な人から受けることのほうが多い。性暴力は、人間の片方の種にもう一方の種を支配する力を与える手段であり、結局は男性による子宮と生殖の支配にほかならないのだ。



 かつて存在した、そして一部地域では今も続く男女の調和がとれた文化をぜひ知ってほしい。女性が支配権を持つ女家長制ではないが、母系制のもとに母親を通して一族の特性が受け継がれ、子育てには母親の兄弟や父親も大きく従事する。家父長制を支持するヨーロッパ人が現在の北アメリカに上陸する以前は、女性はハーブや妊娠中絶薬の使用法に長けており、子を産むかどうか、またいつ産むかを自分で決めていた。チェロキー語などの言語はかつても今も、性別を表す代名詞「彼」や「彼女」を持たない。人間は人間だ。女性が農業に、男性が狩りに従事していたかもしれないが、どちらも等しく重要な存在だった。


 アメリカにはかつて約500の多種多様な語族が存在したが、その多くでは、個々の独自性と共通する人間らしさとの均衡がとれた社会で、男女が共存していた。アメリカ建国初期、ヨーロッパやキリスト教徒風の父性社会を模した植民地からネイティブ・アメリカンの土地に移住した白人教師やその一家が、よほど安心して暮らせたという話は多く残っている。一方で、ネイティブ・アメリカンが自ら望んで、より豊かだと言われていたヨーロッパ風の暮らしを選んだ例は非常に少ない。ベンジャミン・フランクリンはこう嘆いた。「ネイティブ・アメリカンの子どもを我々白人が育て、我々の言語を教えて生活習慣に慣れさせても、その子が自分の親族に会いに行きたった1人とでも会話してしまえば、もうどれほど説得しても戻ってはこない。[一方で]男女問わず白人が幼いうちにネイティブ・アメリカンの捕虜となり、しばらく彼らと暮らした後に白人の友人に救出され、想像しうるかぎり最高の扱いを受けてまたイギリス人社会で暮らすよう説き伏せられても、いくらも経たぬうちに白人の生活に嫌悪感を抱きはじめる。(中略)そして隙をみて森の中へと逃げ帰られてしまえば、もはや取り戻す術はない」。


 ついにフランクリンは、6つのネイティブ・アメリカン部族からなる国家集団、イロコイ連邦(ホデノショニとも呼ばれる)を合衆国憲法のモデルとしようと、1787年フィラデルフィアで開催した憲法制定会議にイロコイ連邦から男性4人を招き、アメリカ13州の統一文書制定に向けて教えを乞うた。イロコイ連邦の「大いなる法」から見るに、ヨーロッパ式のトップダウン型の君主制ではなくボトムアップ型の意思決定に基づいて部族を統一する法を敷くノウハウを、ネイティブ・アメリカンは持っていた。だがフランクリンも周りの者もどうやらある事実を黙殺していた。「女性はいないのか?」というイロコイの助言者からの最初の質問が示した現実を。


 これまでほとんど教わることのなかったこうした史実に、興味を抱いてもらえたなら有難い。発見があなたを待っている。ジャック・ウェザーフォード著『アメリカ先住民の貢献』(1996年、パピルス)と、ポーラ・ガン・アレン著『The Sacred Hoop(聖なる輪)』からぜひ読みはじめてみてほしい。アレンは著書にこう書いた。「女性に公的な権利を与え、それを規律と文明化の基盤とする社会を経験した者はいないと、フェミニストは思い込んでいる。フェミニスト団体は(中略)混乱と分裂、そして時間の大きな損失という代償を避けられないだろう」。


 もちろん、過去を反省して新たな方法で再構築する必要はある。たとえば植民地戦争と輸入感染症により人口の9割方を失った北アメリカの市民や部族は、違法行為を明示するための言語も歴史も失った。また、ネイティブ・アメリカンの子どもたちは「インディアンを殺し、人間を救え」というスローガンのもと創られた残酷極まりないキリスト教寄宿学校に通うことを強いられた。それでもここ50年間で、ネイティブ・アメリカンの女性は再びヨーロッパ流の「女性的な」役割を拒否し、部族管理法に影響を及ぼしはじめている。ネイティブ・アメリカンの女性人権団体「すべての赤い国の女たち」のような活動団体や、女性が代表に選出されたイスレタ・プエプロ(訳注:ニューメキシコ州にあるネイティブ・アメリカン集落)、ウィルマ・マンキラーが女性初の酋長に当選、再当選を果たしたチェロキー・ネイションなど、その影響力はめざましい。


 他の大陸にも希望はある。インドのケーララ州やヒマラヤ山脈の文化から、カラハリ砂漠、アフリカの熱帯雨林に至るまで、自然と気候にまつわる細やかな語彙を無数に持ちながらも性別を表す代名詞を持たない言語が、昔も今も存在する。そこでは母系社会であるために名前と血筋は母系継承され、夫は妻の家庭に入り、政治では男女が綺麗な輪になって意思決定を行う。社会の基本体系は円であり、ピラミッド型や階層構造ではない。私たちも、家父長制や一神教が生まれた時代ではなく人類が生まれた頃の歴史を学んだ方が、ずっと希望を感じられるのではないだろうか。


 これは一例だが、世界中すべての国で、固定的なジェンダーロールと国内外に向けた武力行使の程度との間には、立証可能な相関性が見られる。2013年にヴァレリー・ハドソン率いる学者チームが執筆した『Sex and World Peace(性と世界平和)』によると、国内外への武力行使を含む暴力行為の最もわかりやすい兆候は、貧困や天然資源の入手状況、宗教、政治形態、民主主義の程度などではなく、女性に対する暴力または暴力の脅威である。女性に対する暴力が、人生で初めて持つ性的関係の支配構造を決め、片方のグループがもう一方を支配すべく生まれていると私たちに教え込むからだ。これが階層を生むはじめの一歩となる。男女分極化の極みであるテロリスト組織にも、平和な組織や国家の寛容かつ柔軟なジェンダーロールにも、女性に対する暴力は存在している。


 ジェンダーロールの分極性を排除し、男女間の暴力を根絶することができれば、暴力は当たり前のものではなくなり、あらゆる形態の暴力の根絶が実現するのかもしれない。


 アメリカは暴力を伴う人種主義を基盤にして建国された。先住民族の90%を殺戮し(いまだに史上最大の大量虐殺だ)、奴隷制度に経済的に依存してきた。後者に関して言えば、性差別が白人女性と黒人女性にそれぞれ異なる影響を及ぼした。白人女性は純血を守る目的で性的に制限され、黒人女性は低賃金労働を創出する目的で性的に搾取されることが多かったのだ。性差別の遺産は今でも有色人種の女性に影響を与えつづけているが、ひとつ明白なことがある。家父長制や人種差別が存在するかぎり、女性が平等な権利を得る日は来ない。



 アメリカ初の性暴力の全国調査(そして男性の愚行に関する唯一の全国調査)である本書『それはデートでもトキメキでもセックスでもない』の再版が、性暴力の現状と今後とるべき対策を明らかにしてくれることを私は願っている。


 本書が世代を超えて続く運動の助けとなるよう、新たなはしがきを加えた。サラミーシャ・ティレットがレイプ・サバイバーとしての実体験を語ってくれたこと、数え切れない人々を救うために実体験を活かしていることに、感謝を伝えたい。サラミーシャは本書の初版出版以降に実現した変化と法改正についてもまとめてくれた。


 本書自体にも歴史がある。1972年、女性が発行、編集する女性のための初の全国誌『Ms.』が創刊された。アリス・ウォーカー、アンドレア・ドウォーキンをはじめとした新鋭フェミニストの声が初めて家庭に持ち込まれた。個人的な性暴力体験を告白した記事は多くの読者にとって初めて目にするものであり、ましてや性暴力を悪とし、被害者ではなく実行犯を糾弾する内容は非常に革新的だった。


 取材記事や詩、エッセイ、体験談の形で真実を語った記事に応え、読者も自分が受けた性暴力について明かす手紙を『Ms.』誌に寄せた。その数は毎月増え、雑誌記事の何倍の量にもなり、本を一冊作れるほどだった。手紙はたいてい性的暴行やセクシュアルハラスメントの被害を初めて公表する記事に対して寄せられ、読者の告白は性暴力全般、特にレイプに関する私たちの想定を覆した。性暴力が珍しいことではないことと、現行法で明確に定義されたり処理されたりしてはいないことを示唆していた。被害者層が決まっているわけではなく、見知らぬ他人から身を守れば防げるものでもないとわかった。


 1970年代、レイプを取り締まる法の改正を求める女性の運動が州から州へと広がりはじめると、ACLU(アメリカ自由人権協会)・女性の権利プロジェクトの創立者兼指導者である法律家、ルース・ベイダー・ギンズバーグが、共同指導者のブレンダ・フェイゲンとともにその課題に取り組むべく立ち上がった。強姦罪から死刑を除外するなどの法改正を進めてこそ、すべての人にとっての正義を最善の方法で実現できると信じて。私刑を正当化するため、そして白人女性を白人男性の所有物として保護する考えを促進するために、虚偽告訴による死刑という形で邪悪な人種差別が残っていたのだ。ほかにも、性的暴行の程度の制定、ペニス挿入に限らず瓶やほうきの柄を使用した暴行を含めた「強姦」の再定義、女性同様に男性も性的暴行に対する法的保護の対象とすることにも取り組んだ。


 それでも私たちは今もなお、凝り固まった性差別と、男性の強さがすべてという固定化されたジェンダーロールを突きつけられている。研究者のメアリー・コス博士が本書のエピローグで触れているが、現代の性的暴行数は『Ms.』誌が本書の基となる調査を実施した30年前と変わっていない。家父長制の常態化により、多くの人々が人間の特性は男性と女性、支配する側とされる側に分類されると、だから性暴力が起きるのも仕方がないと、いまだに刷り込まれて育っている。ジェンダーロールに立ち向かうこと、そして生殖支配の根強い動機である人種差別や階級差別と闘うことは、いつの時代も勇気のいる大胆な行為だ。ただ、アメリカ内外でこれが大規模な運動へと成長を遂げてきたことが救いである。


 いまだに大学キャンパスでは、男性を性的暴行またはセクシュアルハラスメントの罪で起訴するには、平均4人の女性がその男性を告発する必要がある。職場でのセクシュアルハラスメントに対しては、通常2人以上の女性が同じ男性を告訴しなければならない。だが、性的暴行について、また自分の身体を脅かす苦難について、声を上げる女性を思いとどまらせるのではなく後押しする転換点に、やっと私たちは立っている。


 インターネットを介して世界中に広まった#MeToo運動や、結束力で法に働きかけるTime's Up運動に見られるように、ようやく真実を語ることが支持される時代が来ている。被害公表の影響力は海を渡り、人種や階級の垣根を越えて広がっている。ジェンダー、人種、経済的な面で男女の力の不均衡を押し広げることは、法的にも社会的にも許容されなくなってきた。自分の身体を自分で支配するという身体の純潔さから始まる真の民主主義を、再発見しているに過ぎないのかもしれない。アレンは『The Sacred Hoop(聖なる輪)』に「抑圧の根源は記憶の喪失にある」と書いた。私たちはかつての在り方を、そして目指すべき姿を、思い出しつつあるのかもしれない。

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