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それはデートでもトキメキでもセックスでもない 「ないこと」にされてきた「顔見知りによる強姦」の実態
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ルポ・エッセイ
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はじめに

『それはデートでもトキメキでもセックスでもない 「ないこと」にされてきた「顔見知りによる強姦」の実態』
[著]ロビン・ワーショウ [訳]山本真麻 [発行]イースト・プレス


読了目安時間:16分
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 1970年代前半、レイプへの意識とははじめは、女性がどこをどのくらいの力で蹴るかを学ぶことだった。


 アメリカはレイプ問題をやっと認識しはじめていた。複数の都市と町にレイプ相談センターや支援団体が開設され、女性は自らの経験を語りはじめ、性的暴行が残した影響に現実的なやり方で立ち向かおうとしていた。『Ms.』誌はこの一体感ある反応が広がる様を詳細に記録し、レイプ被害者に意見共有の場を提供した。誌面や集会で実体験を告白することは、名付けがたい出来事に名前をつけ、レイプが暴力行為であり、全女性に対する憎悪であると位置づけるという、勇気あるはじめの一歩だった。政府の動きはまだ鈍かったものの、多くの州の警察での手続きと起訴手続きは被害者をより支援する方向に変わっていった。レイプ被害者の権利の保護をより重視する形に法改正が進み、いくつかの州ではレイプの申し立てに対するより効果的な調査方法と起訴方法が開発された。


 女性は護身術を習うようになった。夜道や人のいない地下道を一人きりで歩くときや、駐車場、エレベーターの中では、ホイッスルやエアホーン(訳注:空気のボンベがついた小型の警笛)を携帯するか車のキーをしっかりと握りしめているよう忠告された。いずれも警戒が必要な場所だと言われて。「もしものとき」を想定して男性から自己防衛するシナリオを描いたことのない女性の方が少数派であったことは間違いない。


 レイプ事件、レイプ加害者、レイプ被害者すべてにスポットライトが当たるようになった。女性は見知らぬ男性に用心しなければいけないと認識していた。車や家の鍵を閉め、外を歩くときは振り返って背後を確認し、怪しげな男性がアパートの入り口をうろついていたり、電話を貸してほしいと家の前に立っていたりしたら、防御やときには攻撃の姿勢をとれるよう学んだ。女性がレイプされる危険性に備えるということは、活動を制限し、屋内にこもり、ときには自分より強い味方がいると警告するために夫や恋人の同居を装うことだった。こうして防御策で武装し、ときに我慢をして、レイプを避けるためにやれるだけのことをしていると思っていた。


 しかし、レイプへの意識が高まるにつれ、それが暗い廊下や夜道にとどまらないこともわかりはじめた。1982年9月、当時はまだ明るみに出ていなかった一般に「デートレイプ」と呼ばれる種類を『Ms.』誌が記事で取り上げ、互いを知っている男女間で起きるレイプの衝撃的なデータを掲載した。記事に先立って行われた調査は、より一般的だと考えられていた見知らぬ男性によるものよりも、デートレイプの方が被害者数が多いことを示していた。読者からの大きな反響が、『Ms.』誌の着眼点が正しいことを証明した。


 これを掘り下げるべく、『Ms.』誌はアメリカ国立精神衛生研究所(NIMH)に大規模な国民調査を行う許可を求めた。Center for the Prevention and Control of Rape(レイプ防止・管理センター)は、当時オハイオ州のケント州立大学心理学教授を勤めていたメアリー・P・コス博士と同誌を引き合わせた。コスはNIMHで該当テーマの研究経験を有していた。そこから、32の大学キャンパスの大学生男女6100人以上を対象に、コス率いる研究者チームと『Ms.』誌スタッフによる3年間にわたる徹底的な調査が始まった。このテーマでは史上最大規模の学術的調査となった『Ms.』誌プロジェクトは、見た人に不安をもたらす統計データをいくつも生んだ。そのひとつにこの驚きの事実がある。女性回答者の4人に1人が法が定義するレイプまたはレイプ未遂を経験していた。


 このときから、デートをする間柄かそうでないかにかかわらず、知り合い同士の男女間に起きるレイプのより正確な表現として、広義の「顔見知りによるレイプ」という語が使われるようになった。事実、女性はデート相手や友人、同級生、職場にいる男性、パーティーやバーで出会った男性、教会での知り合い、近所の人など、さまざまな知り合い男性から被害を受けていた。なお、近親相姦、「権力者レイプ」(医者や教師によるレイプ)、配偶者レイプ、14歳に満たない子どものレイプは、いずれも女性に対する暴力のなかでも重要な一部分ではあるが、本書で取り扱う顔見知りによるレイプの範囲からは除外した。また、今は複数のレイプ防止・管理センターが、届けを出す被害者の10%が男性(ほぼすべて男性が男性をレイプする事件)と述べているが、本書は男性による女性への暴行を扱うものとする。顔見知りによるレイプの圧倒的大多数を占めるのも、『Ms.』誌が調査対象として測定したのも、男性から女性に対するものであることが理由だ(ただし第6章では男性被害者にも言及している)。


 もし本書の前半が、顔見知りによるレイプの現実を長々と説明しているように思えたなら、それは顔見知りによるレイプがほとんどの人に認識されず、見過ごされ、否定されつづけてきた事実があるからだ。知り合いの男性にレイプされた女性がそれをレイプだと認識すらしていないことがざらにあると、いくつもの調査が明らかにしてきた。さらには、男女問わずほとんどの人が、顔見知りによるレイプが犯罪だといまだに認識していない。窃盗や偽造、放火、横領、そして見知らぬ人からのレイプについて話すのであれば、そもそも犯罪だと言い添える必要すらないのに。本書がそんな現状を一新する助けとなることを祈っている。


 本書の目的は、顔見知りによるレイプがどれほど横行しているかを明示し、立証することに加えて、このような事件を減らす方法を指し示すことでもある。顔見知りによるレイプは防げる。知は力だ。本書を読み終わる頃には、顔見知りによるレイプがあなたや大切な人の身に降りかからぬよう、防ぐ術が身についているはずだ。本書は男女両方に向けて、親や教育者、カウンセラー、法制度に携わる人に向けて書かれている。また、研究者メアリー・P・コスが筆をとったあとがきでは、『Ms.』誌の調査の科学的手法を解説している。


 NIMHからの要求もあって『Ms.』誌のアンケート調査は大学キャンパスに的を絞ったが、同誌編集者はこの問題の及ぶ範囲は大学の枠を優に超えていると常に考えていた。大学の人口統計上、たしかにキャンパスはデートレイプや顔見知りによるレイプの巣窟ではあるが、『Ms.』誌に寄せられたたくさんの手紙は、このようなレイプが社会全体で発生し、従来の大学生より年下または年上の女性も被害に遭っている事実を証明している。執筆開始時から変わらない本書の目的は、顔見知りによるレイプの全体像を描き出すことだ。年齢や民族性、受けた教育、収入などに関係なく、女性が知り合いの男性にいかに頻繁にレイプされているかを記録することだ。顔見知りによるレイプの大部分が隠されたままなのは、その正体が法律で罰される犯罪であると理解している人があまりにも少ないからである。知り合いとの間で発生する、つまり複雑に絡まり合った男女関係や性的な関係の中で発生するため、出来事に正しく名前を付けることは難しい。


 それでも、顔見知りによるレイプは犯罪だ。単に犯人がよく知った顔だったというだけで、犯罪に変わりはないのだ。



 あれは私の人生最悪の時期だった。さまざまな大学から集まった何百人、何千人もの学生と共に街でベトナム戦争反対のデモ行進をしたが、国内外で状況は壮絶さを増す一方だった。関連性はないが、大切な友人がその年の春にティーンエイジャーの不良グループに殺された。その事件から数週間後、私は恋人と別れた。彼をカールと呼ぶことにする。私たちは気まずい状態で別れた。私はきっぱりと別れたかったが、カールは復縁を望んでいた。そしてカールは特に計画もないままふらりと旅に出た。


 2か月ほど経ったある日、私が住んでいた部屋の前にカールが現れ、どうか話をしてほしい、よりを戻したいと懇願した。私は復縁するつもりはないと伝えた。するとカールは、話し合いに応じなければ自殺すると、大声で叫びはじめた。


 一時は好きだった男性にそこまで不幸な思いをさせていることに、私は罪悪感を抱いた。本当に自殺を図るかもしれないと思った。だから、外に出て話をすることにした。外に出るとすぐカールは、カールが滞在している共通の友人の家に行こうと言いはじめた。その友人も私に会いたがっていて、3人で夕飯を食べようと言っていたそうだ。だからそこで話をしよう、とカールが言った。


 カールが嘘をついているとは夢にも思わなかった。復縁はできないとカールを説得するのを、友人が手伝ってくれるかもしれないと思った。友人のアパートは、私があまり行ったことのない場所にあった。友人の部屋へと階段を上がりながら、友人がいてくれることをどれほど嬉しく思っていたか、いまだに覚えている。友人の名を呼びながら、部屋に一歩入った。背後で、かんぬきがガシンとかけられる音がした。


 振り返るとカールはニヤリと笑って立っていた。部屋に入ったときにキッチンから持ってきたのだろう、大きな包丁を手にしていた。言うまでもなく、友人は部屋にはいなかった。カールはそれを知っていて私を連れ込んだのだ。死ぬかもしれないと私は悟った。カールを信じたい気持ちがあったとしても、直後に耳に入った「殺してやる」という言葉で一瞬にして消された。


 カールは夜遅くまで、復縁に応じなければ私を殺して自分も死ぬと脅しつづけた。復縁について何時間も延々と話し合った。私がカールの視界から消えるのを許されたのは、トイレに行くときだけだった。トイレには格子のついた窓があり、叫んで助けを呼ぶこともできたが、そうはしなかった。その理由には矛盾があり、本書のためにインタビューをした女性たちが口にした理由と非常によく似ていた。自分がどこにいるか、誰か来てくれるのか、わからなかったから。カールや自分に恥ずかしい思いをさせたくなかったから。話し合いでこの状況から抜け出せると相変わらず信じていたし、叫べばカールを余計に怒らせていっそう酷い目に遭わされるのではと怖かったから。


 深夜になった頃、カールがナイフで寝室の方を指し示し、私は従った。ベッドの上で私の身体の上にカールが腕を乗せ、枕の向こう側で一晩中ナイフを握っていた。少なくとも1回は性行為をしたが、私の感覚では1回ではなかったように思う。とても長い時間続いたように感じられた。自分が部屋の隅にいて遠くからベッドを眺めているような感覚に陥っていた。やっとカールが眠りに落ちた。私は動かなかった。叫ばなかった。逃げだそうとしなかった。朝になると、カールは私のアパートまで歩いて送ってくれた。私の強い願いでアパートよりも1ブロック手前で別れた。今思えば、カールは私のルームメイトに出くわさないために言うとおりにしたのだろう。やっと自分の部屋に入ると、私は服を脱ぎ捨てて1時間ひたすらシャワーを浴びた。その日は仕事に行かなかった。


 それから1〜2週間、カールは通勤中の私の前に何度か現れた。仲の良かった当時の上司が警備室に電話してくれ、私に護衛がつくことになった。カールとのことを誰にも話していなかったが、まとわりつかれて怖がっていることに上司は気付いていた。数週間経つとカールは現れなくなったが、また待ち伏せされているかもしれないという恐怖は消えなかった。数か月もの間、カールがいるかもしれないと思うとどこに行くのも怖かったし、どこにいても怖かった。


 自分がレイプされたのだと気付いたのは3年ほど経ってからだ。それまではあの出来事と言えば、死を感じた恐怖が何よりも強く残っていた。暴行者がかつての恋人であり、性的な関係を持ったことのある相手だったため、あの出来事と「レイプ」という言葉が結びつかなかったのだ。そもそもレイプとは、下劣な見知らぬ人による暴行を指す言葉だと思っていた。するとある日、地域のレイプ被害者団体の代表となった親しい友人が、その団体で耳にした最近の事件の話をしてくれた。どれも知らない人に襲われた事件だったが、聞いているうちに自分の経験にまつわる感情が湧き上がった。そこで気付いた。私はレイプされたのだと。


 名前がついたことで救われたと言いたいところだが、かなり時間が経つまでそうは言えなかった。あの事件は私にいくつもの悩みをもたらし、どれも何年間も続いた。最終的に、積もりに積もった後遺症を乗り越えるきっかけをくれたのはカウンセリングだった。


 事件から10年が経つと、やっと完全に乗り越えたと思えるようになった。もちろん、カールに復讐するというささやかな夢は心に抱いていた。どこか公共の場でカールと出くわし、面と向かってレイプ犯と言い放つ空想にふけった。大声で否定されるのは目に見えているが。我が身に降りかかったことを少なくとも理解はしていても、ほぼ誰にも打ち明けたことはなかった。


 クリスマスイブに一人で家にいると、電話が鳴った。出ると男性の声がこう言った。「誰かわからないだろうな。君の昔の男だよ」。すぐにカールだと気付き、カールは気付いてもらえて満足げだった。


 そしてカールは、当時私が執筆していた記事を読んでいると言った。怒りと恐れが湧いた。カールは明らかに私の居場所を知っており、おそらくカール自身もまだその地域に住んでいるということだ。当時の私の執筆活動といえば、大半が地域の刊行物向けだったから。カールがどこにいてどの程度の危険性をはらんでいるかを知ろうと、私はいくつか質問をした。カールは自分のことについてはほぼ何も話さなかった。電話を切ってしまいたかったが、もっと対決したいとも感じていた。カールはまたもや私を、今度は電話で攻撃したのだ。これがおそらく最初で最後の反撃のチャンスだろう。自分を落ち着かせた。

「最後に会ったとき私のことをレイプしたって、わかってる?」


 よし、言ってやった、ずっと言えたらと願ってきた言葉を。激怒とともに否定の言葉を返されると確信していたので、覚悟を決めた。一撃に備えて身体がこわばるのを感じた。


 長い沈黙の後、受話器の向こうから声が返ってきた。

「うん」。それからまた少し間を置いて、カールはこう言い足した。「でも、時効だろ」。


 怒りがこみあげ、次に連絡をよこしたら警察に通報すると警告した。そして受話器をたたきつけて電話を切った。信じられなかった。対決した結果、カールは認めたのだ。私をレイプしたと。


 やっと平静を取り戻しても、怒りは収まらなかった。怒りのほとんどは自分に向けたものだった。私は完全に乗り越えたと思っていたのだ。しかし電話を終えて、自分が何年もの間、疑問を抱いたままだったことに気がついた。相手が知り合いだった場合にもレイプと言えるのだろうか? その相手と付き合っていても? セックスしたことがあっても?


 カールが「うん」と答えたことが、あの事件が何であったかを初めて私に確信させた。カールの承認があまりに大きな意味を持っていたため、私は自分自身に怒り、失望したのだ。



 今から7年前のことだ。『Ms.』誌の編集者エレン・スウィートが、本書の企画について私と初めて話をしたとき、私が知り合いにレイプされた経験の持ち主だとは知らなかった。それから数か月間、私はそれを伝えなかった。私にはプロジェクトについて考える時間が必要だった。すでに私に苦痛と混乱と怒りをもたらしたテーマに1年以上もかけて従事するとなると、どうなってしまうのだろう。調査の一環でインタビューを行えば、自分が受けた痛みをほじくり返すことになりうることにも気付いていた。それもリポーターとしての私が望む以上に深く。結局私は、セラピストでもレイプ相談カウンセラーでもない。女性の傷をより深くえぐることなく、事件を思い出してもらうことなどできるのだろうか。私が経験した顔見知りによるレイプについて書く必要も出てくるかもしれないともわかっていた。自分が見せたくないものを、他の女性にさらけ出すよう頼むことなどできない。本書の著者として、同様のレイプの経験があるかと質問されることもあるだろう。それに対して嘘をつくことは考えられなかった。本書を執筆するということはつまり、レイプされた経験を私の両親にも伝えねばならないことを意味した。


 最終的にやると決め、私は全国のデートレイプと顔見知りによるレイプの被害者と話をした。知り合いの男性からレイプされた経験を持つ女性を、できるかぎり広範囲から集めるために、地方の新聞の広告欄を購入し、レイプ相談センターのスタッフの力を借り、体験を語ってくれる女性を探していると『Ms.』誌に小さな告知を載せた(これによりアンケートへの回答数も増えた)。直接インタビューを行うこともあれば、生々しい体験談が書かれた手紙を受け取ることもあった。合計150人を超える女性から話を聞いた。本書にちりばめられた引用は、この女性たちの言葉だ。インタビューを行った女性のうちの多くが、カウンセラー以外に体験を語るのは初めてだと言った。大半は、他の女性に知識を得てもらいたい、助けを得られずにいる孤独なレイプ・サバイバーを勇気づけたいという思いから、私に打ち明けることを決断してくれた。被害者女性以外にも、デートレイプと顔見知りによるレイプに対して同情的な男性、同情的でない男性、男女両方を含む社会学者、心理学者、教育者、また問題の解決策を模索しているレイプ相談センターの職員にも話を聞いた。


 調査を始めた頃は、自分のレイプ被害を私は完全に理解できていると思っていた。しかし本書の執筆を進めるうちに、そうではなかったことを繰り返し実感した。知り合いの男性からレイプされた女性の話を聞きながら、自分の件について学ぶことの方が多かった。自分が受けた被害に似た例などないと思い込んでいたが、レイプに決まった形はないとはいえ、あらゆる面から見て顔見知りによるレイプの典型であったことを知った(男性側がもくろみ、孤立した場所で行われ、暴行者を知っていたためにレイプだと認識しなかった)。たいていのデートレイプや顔見知りによるレイプでは、私のときのような凶器の使用はない。それでもインタビューした多くの女性が、暴行中にどれほど命の危険を感じたか、殺されるとどれほど本気で思ったかを話してくれた。回復に至るまでのたくさんの物語は、私に残っていたレイプの後遺症を考察する助けにもなった。


 こうして自分の話をするのは、私たちが明確な意見や目的を持たないままレイプを語るとジャーナリストが盲信しているからでもある。偏見を持たれているのであれば、隠し立てのない真実をすべて伝えたい。私のレイプ被害の経験は、話をした編集者や専門家というよりも、体験談を提供してくれた女性たちの役に立った。インタビューのはじめには必ず、私も知り合いの男性にレイプされた経験があると簡単に伝えた。そう聞いて女性の緊張が解ける様が毎回見てとれた。経験を明かすことは、顔見知りによるレイプのサバイバーに常につきまとう恐怖を取り除く力を十分に持っていたのだ。自分の話を信じてもらえなかったら、と考える恐怖を。

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