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上皇・上皇后さまがお慈しみの植物図鑑
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いつまでも心に残る上皇・上皇后さまのおことば集

『上皇・上皇后さまがお慈しみの植物図鑑』
[編]山下晋司 [著]水野克比古 [発行]イースト・プレス


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❖退位礼正殿の儀の天皇陛下のおことば(平成31年4月30日)



 今日(こんにち)をもち、天皇としての務めを終えることになりました。


 ただ今、国民を代表して、安倍内閣総理大臣の述べられた言葉に、深く謝意を表します。


 即位から30年、これまでの天皇としての務めを、国民への深い信頼と敬愛をもって行い得たことは、幸せなことでした。象徴としての私を受け入れ、支えてくれた国民に、心から感謝します。


 明日(あす)から始まる新しい令和の時代が、平和で実り多くあることを、皇后と共に心から願い、ここに我が国と世界の人々の安寧と幸せを祈ります。


❖象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば(平成28年8月8日)



 戦後70年という大きな節目を過ぎ、2年後には、平成30年を迎えます。


 私も80を越え、体力の面などから様々な制約を覚えることもあり、ここ数年、天皇としての自らの歩みを振り返るとともに、この先の自分の在り方や務めにつき、思いを致すようになりました。


 本日は、社会の高齢化が進む中、天皇もまた高齢となった場合、どのような在り方が望ましいか、天皇という立場上、現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら、私が個人として、これまでに考えて来たことを話したいと思います。



 即位以来、私は国事行為を行うと共に、日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごして来ました。伝統の継承者として、これを守り続ける責任に深く思いを致し、更に日々新たになる日本と世界の中にあって、日本の皇室が、いかに伝統を現代に生かし、いきいきとして社会に内在し、人々の期待に応えていくかを考えつつ、今日に至っています。



 そのような中、何年か前のことになりますが、2度の外科手術を受け、加えて高齢による体力の低下を覚えるようになった頃から、これから先、従来のように重い務めを果たすことが困難になった場合、どのように身を処していくことが、国にとり、国民にとり、また、私のあとを歩む皇族にとり良いことであるかにつき、考えるようになりました。既に80を越え、幸いに健康であるとは申せ、次第に進む身体の衰えを考慮する時、これまでのように、全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じています。



 私が天皇の位についてから、ほぼ28年、この(かん)私は、我が国における多くの喜びの時、また悲しみの時を、人々と共に過ごして来ました。私はこれまで天皇の務めとして、何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが、同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。天皇が象徴であると共に、国民統合の象徴としての役割を果たすためには、天皇が国民に、天皇という象徴の立場への理解を求めると共に、天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。こうした意味において、日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、私は天皇の象徴的行為として、大切なものと感じて来ました。皇太子の時代も含め、これまで私が皇后と共に(おこな)って来たほぼ全国に及ぶ旅は、国内のどこにおいても、その地域を愛し、その共同体を地道に支える市井(しせい)の人々のあることを私に認識させ、私がこの認識をもって、天皇として大切な、国民を思い、国民のために祈るという務めを、人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは、幸せなことでした。


 天皇の高齢化に伴う対処の仕方が、国事行為や、その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには、無理があろうと思われます。また、天皇が未成年であったり、重病などによりその機能を果たし得なくなった場合には、天皇の行為を代行する摂政を置くことも考えられます。しかし、この場合も、天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま、生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません。


 天皇が健康を損ない、深刻な状態に立ち至った場合、これまでにも見られたように、社会が停滞し、国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます。更にこれまでの皇室のしきたりとして、天皇の終焉に当たっては、重い(もがり)の行事が連日ほぼ2ヶ月にわたって続き、その後喪儀(そうぎ)に関連する行事が、1年間続きます。その様々な行事と、新時代に関わる諸行事が同時に進行することから、行事に関わる人々、とりわけ残される家族は、非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが、胸に去来することもあります。



 始めにも述べましたように、憲法の(もと)、天皇は国政に関する権能を有しません。そうした中で、このたび我が国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ、これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう、そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ、ここに私の気持ちをお話しいたしました。


 国民の理解を得られることを、切に願っています。


❖主な式典におけるおことば(年代順)



【平成元年】


◉天皇陛下のおことば


──即位後朝見の儀

平成元年1月9日(月)[宮殿]



 大行天皇の崩御は、誠に哀痛の極みでありますが、日本国憲法及び皇室典範の定めるところにより、ここに、皇位を継承しました。


 深い悲しみのうちにあって、身に負った大任を思い、心自ら粛然たるを覚えます。


 顧みれば、大行天皇には、御在位60有余年、ひたすら世界の平和と国民の幸福を祈念され、激動の時代にあって、常に国民とともに幾多の苦難を乗り越えられ、今日、我が国は国民生活の安定と繁栄を実現し、平和国家として国際社会に名誉ある地位を占めるに至りました。


 ここに、皇位を継承するに当たり、大行天皇の御遺徳に深く思いをいたし、いかなるときも国民とともにあることを念願された御心を心としつつ、皆さんとともに日本国憲法を守り、これに従って責務を果たすことを誓い、国運の一層の進展と世界の平和、人類福祉の増進を切に希望してやみません。


──みどりの日制定記念式典

平成元年4月29日(土)[国営昭和記念公園]

※「みどりの日」は2020年現在「昭和の日」に。



 本日、ここに、「みどりの日」制定記念式典が、関係者多数の参加の下に、昭和天皇にゆかりの深いここ昭和記念公園で開催されることは、誠に喜びに堪えません。


 自然をこよなくいつくしまれた昭和天皇のお誕生日として、長い間親しまれてきた今日の日が、新しく「みどりの日」として国民の祝日に加えられたことは、大変意義深いことと思います。


 みどり豊かな自然は、国土の保全や資源としての面で有用であるばかりでなく、私たち人間の環境として、日々の生活にやすらぎやゆとりを与え、うるおいやいつくしみの心をはぐくむ、この上なく重要な存在であります。日本人は、古来、このような自然を畏敬し、これを守り育て、その恵みを受けてきました。日本の文化もその環境の中で培われたものであります。


 近年、わが国の目覚ましい経済発展に伴って、国民生活は著しく向上してきましたが、今後更に、物心両面にわたって、より質の高い国民生活を実現していく上で、自然の豊かさが、不可欠の要件となることは、いうまでもありません。


 現代の自然は、私たちの祖先が大切に受け継いできたものであり、これを引き続き育てていくことは私たちの重要な務めであると思います。


 ここに、「みどりの日」の制定を機に、国民一人一人が、自然の大切さに深く思いを巡らせ、感謝の気持ちをもってその恩恵を享受するとともに、これを更に豊かなものとして、発展させていくために、一層力を尽くされるよう切に望んでやみません。


──全国戦没者追悼式

平成元年8月15日(火)[日本武道館]


「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に際し、ここに、全国戦没者追悼式に臨み、さきの大戦において、尊い命を失った数多くの人々やその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします。


 顧みれば、終戦以来すでに44年、国民のたゆみない努力によって築きあげられた今日の平和と繁栄の中にあって、苦難にみちた往時をしのぶとき、感慨は誠につきるところを知りません。


 ここに、全国民とともに、我が国の一層の発展と世界の平和を祈り、戦陣に散り、戦禍にたおれた人々に対し、心から追悼の意を表します。



【平成二年】


◉天皇陛下のおことば


──学習院初等科校舎建築50周年記念祝賀会

平成2年3月7日(水)[学習院初等科]



 この度、この新校舎が50周年を迎えるに当り、そのお祝いの席で皆さんとお会いすることができることを大変うれしく思います。今お話がありましたように、私はこの校舎ができました年に最初の一年生として学んだわけであります。そして、中に疎開の期間を含みますけれども、6年までこの校舎で過ごしました。


 振り返りますと、いろいろ思い出深いものもありますが、入学当初のこととしましては、当時教科書で使っておりましたのは、「サイタ サイタ サクラ ガ サイタ」という教科書であります。その翌年から国民学校となって教科書が変わりまして、その最後の年級に当たっているわけです。その「サイタ サイタ サクラ ガ サイタ」というのを、私の組の主管でありました秋山先生が、喜びを込めて読むようにということをお話になっていたことが、非常に印象に残っております。


 そのように、私達の入学は、さくらの咲く美しい時でありましたが、世界の情勢は、また日本の情勢は極めて厳しくなってまいり、先ほどもお話のありましたように、一時期はこの校舎が閉鎖されていたわけであります。そして雨天体操場も、それから3階も、空襲で焼けてしまいました。


 この校舎に戻ってまいりましたのは、終戦の翌年だったと思います。その時に、習字の時間に平和国家建設、文化国家建設ということを書きました。これは今でも大変印象深く残っております。初等科時代を顧みますと、当時私どもには判りませんでしたが、初等科の最も厳しい時代であったのではないかと思います。そして、その間の先生方の御苦労は、いかばかりであったかと思います。しかし、いつでも、先生方は、大変あたたかく当時の学生に接しておられたような気がいたします。それによって、私どもは非常に意義深い日々を過ごすことができたのではないかと思います。


 当時、習いましたことは、やはり今でも非常に心に残っております。たとえば、当時、高学年になってではありますが、教科書に和歌がでておりまして、万葉集や古今集、新古今和歌集などの和歌がでておりました。それは、やはり非常に私には印象深く、私の子供が和歌が判るようになるくらいの年齢になりましたときに、まず教えたのは、その教科書にでていた和歌でありました。ただ、困りますのは、漢字がすっかり変わりまして、その時によく覚えておりましたものですから、今度新しい漢字を私の子供が習いますと、それを教えるということができなくなりまして、一生懸命、字引をひきながら教えたことを記憶しております。


 このような意味で初等科時代の教育というものは、極めて大切なものではないかと思います。しかし一方、自由な発想、先ほども小野田初等科長からもお話がありましたが、自分で考えること、そういうような教育というものは、当時の状況では無理だったと思います。私が皇太子時代に、読書感想文コンクールによくまいりましたが、賞を受けた人々の感想文を読みますときに非常に感じますのは、その人たちが自由な発想のもとに率直に表現しているということでありました。


 初等科の時代の教育というのは、この両輪があるということによって、きちんとした規則、それを基にした自由で率直な発想というものを伸びるようにしていくことが、大事なのではないかと私は思っております。今の初等科の先生方も、おそらく、そういうことを考えて進めていらっしゃることと思います。


 今日は、このような機会に初等科を再び訪れることができたことを、大変うれしく思っております。そして、私どもが初等科におりました頃の何人かの先生も、お元気にここにいらっしゃることを大変うれしく思っております。この後で皆さん方とお話するのを楽しみにしております。


 これをもちまして、私のお祝いの言葉といたします。



──即位礼正殿の儀

平成2年1112日(月)[宮殿]



 さきに、日本国憲法及び皇室典範の定めるところによって皇位を継承しましたが、ここに「即位礼正殿の儀」を行い、即位を内外に宣明いたします。


 このときに当たり、改めて、御父昭和天皇の六十余年にわたる御在位の間、いかなるときも、国民と苦楽を共にされた()心を心として、常に国民の幸福を願いつつ、日本国憲法を遵守し、日本国及び日本国民統合の象徴としてのつとめを果たすことを誓い、国民の叡智(えいち)とたゆみない努力によって、我が国が一層の発展を遂げ、国際社会の友好と平和、人類の福祉と繁栄に寄与することを切に希望いたします。



【平成三年】


◉天皇陛下のおことば


──国賓 オランダ女王陛下のための宮中晩餐

平成3年1022日(火)[宮殿]



 このたび、オランダ国ベアトリックス女王陛下には、ウーレム・アレキサンダー皇太子殿下とともに、我が国を御訪問になりました。300年をはるかに越える日蘭間の交流の歴史の中で、初めて貴国から女王陛下を我が国にお迎えできますことは、誠に喜ばしく、心から歓迎の意を表したいと思います。また、私の即位の礼においでになりました皇太子殿下を再びお迎えすることも、私の深く喜びとするところであります。


 貴国は、我が国にとって、欧州諸国の中で最も長く修好を維持してきた国であります。日蘭間の歴史的友好関係は、1600年、オランダ船「デ・リーフデ号」が大分県臼杵湾に漂着し、続いて1609年、貴国に対し我が国との貿易を許可する朱印状が交付されたときに遡ります。その後、200年以上にわたる我が国の鎖国時代においても、日蘭両国は、我が国が西洋の世界に向けて開いていた唯一の窓であった長崎の出島を通じ、貿易を行ってきました。また、我が国は、出島を通じて貴国がもたらした西洋文明の知識を学ぶことができました。今から200年以上の昔、オランダ語の解剖学書を訳し、出版した杉田玄白が自分の思い出などを書き記した『蘭学事始』を読みますと、貴国の進んだ科学に対する我が国の人々の憧憬と、それを学び、それを人々のために役立てようとする熱意に打たれます。開国後の我が国の発展を考えるとき、如何に貴国との交流によって我が国が恩恵を受けたかに思いを致すのであります。さらに、開国後も、日本が招いた貴国の技師等は治水事業等の分野で大きな業績を残されました。このように、貴国は日本の近代化の過程に極めて密接に関与してこられました。


 このような友好関係が第二次世界大戦によって損なわれたことは、誠に不幸なことでありました。戦後日本は、このような戦争の惨禍を再び繰り返すことのないよう、平和国家として生きることを決意し、世界の平和と繁栄のために積極的に協力しつつ、一貫して貴国を始めとする世界各国との間で新たな友好関係を築くよう努力してきました。いまや日蘭両国間では、幅広い分野で友好と協力の関係が見られるようになりましたことは、喜ばしい限りであります。私は、今後とも両国民がますます相互理解を深め、力を合わせ、将来へ向けて両国関係の一層の発展を図っていくことを切に希望いたします。


 女王陛下には、28年前、国賓として我が国を御訪問になりましたが、当時まだ20代であった女王陛下と私は、この時初めて親しくお話をする機会を持ちました。以後、女王陛下には、しばしば、我が国を御訪問になっており、我が国に対する深い理解をお持ちになっていらっしゃいます。私共も、貴国で御即位前の女王陛下並びにクラウス殿下から手厚いおもてなしをいただいたことが懐かしく思い起こされます。厳しい状況の中で、御即位前より我が国との友好関係の増進をお心にかけていらっしゃった女王陛下と今夕宴席を共にすることができますことを誠に嬉しく思います。


 ここに杯を挙げて、女王陛下の御多幸並びにオランダ王国の繁栄と国民の幸せを祈ります。


◎皇后陛下のおことば


──「看護の日」及び「看護週間」制定記念式典

平成3年5月12日(日)[日比谷公会堂]



 今年から5月12日が「看護の日」と定められ、あわせて「看護週間」が設けられることになりました。ここに記念式典が開催され、全国各地においても記念の行事が行われますことを、心よりうれしく思います。


 5月12日は、近代看護の先駆者であるフローレンス・ナイチンゲール女史の生誕の日でもあり、このような機会に、国民一人一人がお互いを思いやり、看護することと、介護することについて理解を深めることは、誠に意義深いことであると思います。


 人の一生には世話をしたりされたりということが常にあり、この人と人との支え合いが基盤となり、家庭や社会が築かれています。日本が、かつて世界のどの国も経験したことのない速度で高齢化社会の時代を迎えつつある今、病に苦しむ人々の看護と共に、高齢の人々の看護も、大切な皆の問題となってまいりました。支える者も支えられる者も、共に看護の問題を真剣に考えていくことが必要になってきたことを感じます。


 昭和40年に国際看護婦協会により「看護婦の日」と定められていたこの日が、この度、更に看護を、専門職の人々のみでなく広く国民皆のものとされたことにより、人々の看護への関心が深められると共に、改めて、看護を職とされる人々への敬意と感謝の払われる日となることを望んでおります。


 初めての「看護の日」に当たり、病院で、施設で、また、家庭で、看護や介護の必要な人々を看とり、支えておられる多くの方々に深い敬意を表し、「看護の日」と「看護週間」制定の趣旨が、大勢の人々の心に刻まれ、大切にはぐくまれていくことを願い、ごあいさつといたします。



【平成五年】


◉天皇陛下のおことば


──沖縄県における特別ご挨拶

平成5年4月23日(金)[沖縄平和祈念堂]



 即位後、早い機会に、沖縄県を訪れたいという念願がかない、今日から4日間を沖縄県で過ごすことになりました。


 到着後、国立戦没者墓苑に詣で、多くの亡くなった人々をしのび、遺族の深い悲しみに思いを致しています。


 先の戦争では実に多くの命が失われました。なかでも沖縄県が戦場となり、住民を巻き込む地上戦が行われ、20万の人々が犠牲となったことに対し、言葉に尽くせぬものを感じます。ここに、深く哀悼の意を表したいと思います。


 戦後も沖縄の人々の歩んだ道は、厳しいものがあったと察せられます。そのような中で、それぞれの痛みを持ちつつ、郷土の復興に立ち上がり、今日の沖縄を築き上げたことを深くねぎらいたいと思います。


 今、世界は、平和を望みつつも、いまだに戦争を過去のものにするに至っておりません。平和を保っていくためには、一人一人の平和への希求とそのために努力を払っていくことを、日々積み重ねていくことが必要と思います。


 沖縄県民を含む国民とともに、戦争のために亡くなった多くの人々の死を無にすることなく、常に自国と世界の歴史を理解し、平和を念願し続けていきたいものです。


 遺族の皆さん、どうかくれぐれも健康に留意され、元気に過ごされるよう願っています。


──44回全国植樹祭

平成5年4月25日(日)糸満市字米須・山城[沖縄県]



 第44回全国植樹祭が、ここ、糸満市米須・山城地域において開催されるに当たり、全国からの参加者と共に植樹をすることを喜ばしく思います。


 沖縄県の島々には、イリオモテヤマネコ、ノグチゲラ、ヤンバルクイナのように世界中でその島にのみ生息する生き物が見られます。島の生態系は人間の営みの影響を受けやすく、世界の各地で島特有の生き物が姿を消していきましたが、沖縄県の島々では、豊かな森林がこれらの生き物を守ってきました。これは、今から250年の昔、蔡温によって、保護、造林に意を用いられるようになって以来、人々が森林を大切にする心を持ち続けてきたからではないかと思われます。


 残念なことに、先の戦争でこの森林が大きく破壊されました。多くの尊い命が失われた、ここ糸満市では、森林が戦火によってほとんど消え去りました。戦後、県民の努力により、森林を守り育てる様々な運動が進められていることを誠に心強く感じております。この度の植樹祭は、沖縄の復帰20周年記念事業として位置付けられており、戦争により焦土と化したこの地域において行われることを、非常に意義深いことと思います。

「育てよう 地球の緑 豊かな未来」をテーマとして行われるこの植樹祭が、そのテーマにふさわしく、自然を大切にし、緑を守り育てる気運を更に高め、人類の豊かな未来に向けた地球環境づくりの契機となることを心から希望いたします。


──都制施行50周年記念式典

平成5年7月1日(木)[東京都庁]



 本日、都制施行50周年記念式典が挙行されるに当たり、皆さんと一堂に会することは私の深く喜びとするところであります。


 50年前の今日、東京府と東京市は一つになって、新しく東京都としての一歩を踏み出しました。しかし、発足後間もなく、戦火により、大きな被害を受け、9万人を超す尊い人命が失われました。この惨禍から立ち上がり、今日の東京都が築かれましたが、その復興、発展の過程においては、住宅、交通、環境など様々な困難な問題と取り組まなければなりませんでした。ここに、都の発展に力を尽くした先人の労苦をしのび、深く敬意を表したいと思います。


 今日、東京は我が国の首都として、また、世界経済の中枢都市として、発展しておりますが、国際化、情報化の進展に伴い、国内的、国際的に、その果たす役割はますます大きくなると思います。同時にまた、巨大都市の抱える様々な課題も少なくありません。


 この機会に、皆さんが50年の歴史を振り返り、山々、島々にまで広がる東京都に住むすべての人々が幸せな生活を送れるような社会の建設に、更に励まれるよう、ここに切に希望いたします。


──国賓 ポルトガル大統領閣下及び同令夫人のための宮中晩餐 平成5年1019日(火)[宮殿]



 日本ポルトガル友好450周年記念の年に当たり、ポルトガル共和国ソアレス大統領閣下が令夫人とともに、国賓として我が国を御訪問になりましたことに対し、心から歓迎の意を表します。今宵、大統領御夫妻をお招きし、宴席をともにできますことは喜びに堪えません。


 私は、8年前、皇太子の時、昭和天皇の名代としてスペインとアイルランドへの訪問の途次、皇太子妃と共に貴国を訪れましたが、非公式な立寄りにもかかわらず、当時のエアネス大統領閣下、ソアレス首相閣下から温かいおもてなしをいただきました。その時首相として午餐を催していただきましたところは1584年天正少年使節も訪れたシントラ王宮でありました。


 貴国の人が我が国の土を初めて踏みましたのは今から450年前のことになります。これを契機に、欧州の文明が我が国に伝えられるようになりました。鉄砲が我が国で作られるようになったのはこの貴国民の種子島漂着によってでありますが、それに続く宣教師などの来日により、キリスト教や医学、天文学を始めとして様々な欧州の文物がもたらされ、我が国民は世界が丸い地球上にあることを知るようになりました。この貴国民との交流は100年足らずしか続きませんでしたが、我が国がその後にたどった道を振り返る時、大きな意義を有するものと思えます。


 日本ポルトガル友好450周年に当たっては、貴国と我が国とで様々な記念行事が催され、記念行事実行委員会名誉総裁の高円宮、同妃の貴国訪問を始めとして、多くの交流が行われております。

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