『フランスの天才学者が教える 脳の秘密』
[著]イドリス・アベルカン
[翻訳]広野和美
[発行]TAC出版
かつて、アメリカの作家アイザック・アシモフはいった。
「今の世の中で最も嘆かわしいのは、社会が知恵を得るよりも科学が知識を蓄えるほうが速いことだ」
脳を活用する際には、知恵を働かせることがとても大切だ。知恵のあるなしによって、私たちは優れた技術者にもなれるし、冷徹無比な人間にもなれる。このことは20世紀を通して、十分証明されてきた。
私が繰り返し述べているのは、大学であろうと国家であろうと、人間がつくりだしたもので人間に勝るものはなく、人間はそれらに服従すべきではないということだ。大学や国家は一度だって人間を創造したことなどない。人間が大学や国家をつくってきたのだ。
自分に問いかけ、自分が無意識のうちに何に支配されているのかを突き止めてほしい。
「誰が誰の役に立つのか?」
「誰が誰を抑圧しているのか?」
「誰が誰のせいで死ぬのか?」
こうした問いかけが、どのような“知恵を伴った神経科学”を使っていくべきか、手がかりを示してくれる。
第1章 私の歩み
神経科学はどこにでも存在する
2003年、私は当時まだパリ第11大学(パリ南大学)と呼ばれていたパリ・サクレー大学に入学した。そこで、エルヴェ・ダニエル教授が熱く語るニューロンとグリア細胞に関する講義に引きこまれた。その後、グランゼコール(エリート養成のための高等教育機関)のひとつであるエコール・ノルマル・シュペリウール(高等師範学校)に通うようになったが、そこでの講義は必ずしも学生にやさしいものではなかった。
2006年、神経科学を学ぶため、ケンブリッジ大学のブライアン・ムーア教授とブライアン・グラスバーグ博士のもとで実験心理学科のインターンになった。ふたりからは音響心理学、つまり人間の脳がどのように音を感じ取るかについて学んだ。その後スタンフォード大学の客員研究員を務め、また2009年から、ケンブリッジ大学の実験心理学科でロレイン・タイラー教授の指導のもと、脳磁図について研究した。脳磁図に対する興味が深まるにつれ、私は次第に文学、なかでも詩における神経人間工学について思いめぐらすようになった。
グランゼコールの息苦しいシステムから抜け出したい一心で、イギリスやアメリカの大学に籍を置いたりしたが、結局、エコール・ノルマル・シュペリウールに戻った。パリでは、コレージュ・ド・フランス(特別高等教育機関)まで足を延ばし、スタニスラス・ドゥアンヌ教授による“グローバルワークスペース”に関する講義を聞くのが唯一の楽しみだった。
もともと学習に対するゲームの効果に興味を持っていたため、エコール・ノルマル・シュペリウールの卒業時は、そのことを研究テーマにした。私は論文のテーマを自分で選び、すべてを自分の手で書きたかった。多くのポストドクターのように研究チームの一員になってしまえば、安上がりの執筆者としてこき使われるに違いないからだ。そんなわがままを押し通したせいで、私は研究資金を得ることができなかった。その結果、ある人にとっては死刑宣告にも等しく、またある人にとっては自由に好きなことができると感じる、宙ぶらりんの状態に身を置くことになった。
そこで私は、フランス海軍の上級士官養成コースに登録した。身分は参謀将校だ。海軍では、レジスタンス運動の英雄だったオノレ・デスティエンヌ・ドルヴの家系を継ぐ海軍少佐に出会った。その彼がある日、モン・ヴァレリアンからパリの景色を見下ろしながら“パリはまるで大きな粉砕機のようだ”と語ったことがあった。現代人の姿をこれほどずばりといい当てた表現は、それまで聞いたことがなかった。実際、都会の喧騒に飲み込まれ、金に振り回され、存在理由を奪われた現代人は、便利に使われる道具そのものだった。
士官養成コースでの作戦や地政学の講義はおもしろく、実地教育は非常に気に入ったが、自分のキャリアが軍隊カラーに染まることにはためらいがあった。しかも、あいかわらず研究の世界が私を引きつけてやまなかった。
学問の道に戻り、パリの外交戦略研究センターで最初に取り組んだ博士論文『On Noopolitik & the New Great Game(ニューオーポリティークと新たなグレート・ゲームについて)』では、“ニューオーポリティーク”と呼ばれる知識の地政学について、またニューオーポリティークがシルクロード地域に及ぼした影響と平和学について取り上げた。
次にストラスブール大学で書いた論文では、西洋文学におけるスーフィズム、特にT・S・エリオットとリチャード・フランシス・バートンの作品について論じた。『Ballade de la conscience entre Orient et Occident(西洋と東洋を結ぶ意識のバラード)』と題したこの論文では、神経の接続状態を示す全体図、つまり神経回路の地図である“コネクトーム”という概念を活用した。東洋文学は右脳、西洋文学は左脳であると仮定し、“文学のコネクトーム”という考え方を提唱したのだ。そうすることで、脳のふたつの半球をつないでいる“脳梁”という神経線維の束に焦点を当てたかった。
異なる知識が結びつくことで、意図せず価値あるものが発見されるなら、それはまさに“セレンディピティ(予想外の幸運な発見)”といえる。さまざまな分野の研究で得られた知識は、混ざり合うことではじめて役立つものとなる。ちなみに政治家で作家でもあったアラン・ペイルフィットは、著書『フランス病』の中で、フランスの病のひとつは負のセレンディピティ、つまり意図せずに不幸を得ることだと書いている。
■ 認知姿勢の問題を正す
誰でも自分のニューロンについて知っておくべきだ。何かを決断したり、挫折を味わったり、抱擁したり、高らかに歌ったり、出産したりする時など、あらゆる行動の裏にはニューロンの働きがある。アレクサンドロス大王が抱いた野望も、ナポレオンが経験した逡巡も、中国・春秋時代の武将、孫武の巧みな戦術も、ルネサンス期の画家ティントレットが描いた美しい色彩も、その裏にはニューロンの働きがある。しかし、脳が認識した知識をうまく脳全体に広めるためには、その知識を魅力的なものにしなければならない。知識という材料がそこにあるなら、これを調理して香ばしい匂いを漂わせ、知性の食欲をそそる必要がある。
私は、どうすれば知識を正しく調理してきちんと伝えられるかを、『Mind Ergonomy for the Knowledge Economy(知識経済のための心の人間工学)』という論文で取り上げた。