『大分断 教育がもたらす新たな階級化社会』
[著]エマニュエル・トッド
[訳]大野舞
[発行]PHP研究所
国内の分断と民主主義の崩壊が同時に起きている
ヨーロッパに関しては考察も最終地点にたどり着いたと感じています。今、ヨーロッパで何が起きているのでしょうか。
ドイツは人口的にひどい状況にありますが、経済と政治の有効性という側面ではまだ桁外れなレベルを保っています。ドイツはユーロ通貨圏の管理を手に入れました。未来の歴史家たちは、私たちの時代を振り返り、統一通貨ユーロを導入した選択について、信じられない戦略の一つだったと表現することでしょう。もはや一九四〇年のマジノ線(ナチスの侵攻を防ぐためフランスがドイツとの国境に築いた要塞)の戦略と同じです。ユーロは機能しませんが、ある種の思想的な理由から人々の心に入り込み、すでにそこから抜け出せなくなっているのです。ドイツの周辺国、ラテン系の国々はとてつもなく高い失業率を抱え、衰弱しています。そして東欧はと言えば、出生率が低下。これは大きな不安の表れです。例えばドイツ人とルーマニア人の収入格差が表すように、ヨーロッパは経済面、社会面において不平等であり、そのレベルはこれまで不平等の極みでもあるかのように名指しされてきたアングロ・サクソン系の国々(イギリス、アメリカなど)を超えてしまっているのです。
EUの目的というのは生活水準を平等にすることでもあったはずですが、東欧など力が弱い国からの当選者たちは規則を覆すことなどできません。しかしそれはそんなに驚くべき事態でしょうか。ヨーロッパ社会の無意識について検討してみるべきです。ユーロ圏では直系家族が伝統的に家族構造の基盤となっている地域が優勢的です。これはもともと農民のシステムですが、そこでは相続人はたった一人だけ選ばれ、また根底にある価値観は不平等と権威です。しかし、私のヨーロッパにおける潜在意識の分析というのは、結局は歴史の常套句です。一九三〇年代において、一体誰が大陸ヨーロッパをリベラル民主主義の開花する場だと言ったでしょう。民主主義が生まれたのは、アングロ・サクソンの世界とパリ盆地です。その他の地域が近代、ユーロ圏の政策にもたらしたものと言えば、サラザール、ペタン、フランコ、ヒットラー、ドルフースといった独裁者たちです。
人類学的かつポスト宗教の大陸ヨーロッパのポテンシャルを鑑みると、地政学上で昨今実際に起きたイギリスとアメリカの撤退の後、この地域において真の民主主義が持続されると考えるのは愚かだと言わざるをえないでしょう。今日表出してきていることは(権威主義的価値観という)大陸ヨーロッパの伝統であり、それはリベラル民主主義にとって決して好都合なものではないのです。フランスならば民主主義的な価値や平等の価値をそこにもたらすこともできたのかもしれませんが、そんなフランスも今や自立した国ではなくなってしまっています。
さらに言えば、EUは、抽象的な政治哲学の観念が現実の壁にぶち当たっている場所でもあります。民主主義の考え方、つまり「人はみな平等で自由」という理想は素晴らしいですし、私自身も大賛成です。しかしながら、それがうまくいくためには人々の教育レベルが均一でなければならず、お互いに理解し合えて、そして時には衝突し合うことも可能でなければいけません。今のEUではそれは不可能なのです。
民主主義とは、抽象的な人類のための概念というだけではなく、ある一定の市民がある理由から組織化し、同じ言語でコミュニケーションができる状態を基盤とし、そこから様々な決断を下していくプロセスを指します。だから民主主義は、国家という要素を必ず含んでいるのです。しかしながら現代において、その点が不明確になっているため、国内の分断とネーション批判と民主主義システムの没落が同時に起きているのです。