『悩んでいる自分から1歩抜け出す HOP STEP JUMP(KKロングセラーズ)』
[著]深川富美代
[発行]PHP研究所
★自分の現実を知り、適正健康を設定しよう
物には適正価格というものがあります。一本の大根が三〇万円ということはなく、一〇円のダイヤモンドもありません。自分がイメージする「こんな健康体でいたい」という姿も適正な設定目標が必要です。
何事も過ぎたるは及ばざるがごとし、のたとえ通り、あまりに今の自分とかけ離れた健康を目標にしてしまうと、どんなに努力しても行きつかずに不完全燃焼感が残ります。
近年の平均寿命は女性八七・三二歳、男性八一・二五歳(二〇一九年)と厚生労働省から発表されました。幼少時にお亡くなりになった方を含む平均寿命ですので、中年期から上の年齢の方々は、好むと好まざるとにかかわらず、一〇〇歳まで生きると考えて計画を立てた方が良さそうです。
このままいくと一二〇歳まで人類は生きるようになるのでは? とも言われていますので、人によっては、一二〇歳までの人生設計が必要だと思われる元気な方もいらっしゃることでしょう。
一〇〇歳まで健康で好きなことができている自分でいるために、今からできることは何だろうか?
どのくらい元気だったら、一〇〇歳超えても自力で行動できるのか?
昔から、「若いときは時間もあって健康だけどお金がない。中年になるとお金もあって健康だけど時間がない。高齢になると時間とお金はあるけど健康がない」と言われていますが、せっかく時間のゆとりができて好きなことができる、というときになって、「健康でないのであきらめる」と言うのは、本当にもったいないことです。
マンションや建築物に耐久年数があるように、私たちの耐久年数が一〇〇年であれば、それ相応のメンテナンスをしないといけません。
大切に使ってきているのか、酷使してきたのか。どの部分に不調がでているのか。治療や改善の必要な箇所はどこなのか?
まずは自分の現実を知ることが大事です。
どこをどういうふうに気を付けていくのか、自分の目指すありようをイメージします。
このときに大切なのが、自分にとっての適正な健康度を目指すということです。不健康な人ほど、TVで活躍している飛びぬけて美しく元気な芸能人や、二〇歳の頃の自分を目標にしたりします。
励みにするのは良いのですが、健康は人生を楽しむために必要最小限に保てば御の字、くらいに適正健康をイメージしてみましょう。
★自分の健康を守るのは自分しかいないと覚悟を決める
自分の健康を守るのは自分しかいない、と覚悟しましょう。
病気は病院で治してくれるかもしれません。でも健康にしてくれるわけではありません。
病んだところやケガをしたところを元に(近いところ)まで戻すのが「治療」です。マイナスからゼロになるだけで、プラスアルファにしてくれるわけではありません。
眼や耳の不調で病院に行ったら、「加齢によるものですね」と言われただけだった! と憤慨する方がおられます。医師としては、「心配はいりませんよ。何らかの病気ではなく、皆が自然と年を取ると出てくる症状なんですよ。放っておいても大丈夫ですよ」と伝えたいのでしょう。
けれども言われたほうからすると、「失礼な! 私を年寄り扱いして!」「年取ったら、もうどうしようもないってことなの!?」という怒りと、「心配がある病気じゃなくても、今まで無かった症状なんだから何とかしてくれようとしたって良いじゃないの!」という無念さで、「何でもかんでも年のせいでしょうと言われる!」と中高年を過ぎて訴える方も多いのです。
何とか食い下がって、「ではどうしたら良いのでしょう?」と聞くと、たいがいは「バランスのとれた食生活、適度な運動、正しい生活習慣を始めることですね」という模範解答が返ってきます。確かにそうなんですが……。
確かに、老眼、耳鳴り、軟骨・関節の痛みなどを始め、生活習慣病やロコモティブシンドローム(運動機能の低下症状)は加齢とともに増加します。
けれども、人によってその症状や出方には、早いか遅いかの年齢差と、軽いか重いかの重症度の差が明らかに存在します。
一番大切なのは、やみくもに嫌がらないこと。毛嫌いしないことです。確実に少しずつ年齢を重ねてはいるのですから、絶対に老いないようにしようと思うと、別の心の病になります。
仏教でも自分の思い通りにならない苦しみを「生老病死」の四苦としていて、「老い」は自分でコントロールできない苦しみなのですから、あまりそこに固執してしまってはいけません。
仕方のないところは「仕方ないなあ」と気にしない。何とか自分で予防したり改善できる部分は、自力で何とかやろうとする。その見極めと覚悟が必要です。
意外と多くの人が「老眼」はすんなり(私ももう老眼かあ、仕方ないなあ)とあきらめるのに対し、耳鳴りや耳が遠くなるなどの現象については、なかなかあきらめがつかない人が多いようです。信頼できる耳鼻科でしっかり検査や治療をしてもらい、自分でいろいろ工夫をしても変わらず、「加齢によるもの」とわかったのなら、なるべく共存する方向に気持ちを切り替えることが必要です。
「蝉の鳴き声のようなジーっという耳鳴りがします。日中仕事をしたりしていると聞こえませんが、夜静かになると聞こえて我慢できません」と何年も心療内科と耳鼻科に通院している人がいます。
ニュースキャスターの鳥越俊太郎氏が「二〇〇〇年から、耳の中で二四時間、蝉が一〇〇匹くらい鳴いているような感じで、メニエール病もあり難聴とめまいもひどくなり、今は左耳がほとんど聞こえません」とおっしゃっていましたが、そういう我慢のできないような音でも、(仕方がない症状だから)と割り切って日々過ごしている方もいらっしゃいます。
他人の耳鳴りと自分の耳鳴りを聞き比べることはできませんので、自分の気持ちの中で納得して割り切るしかないのです。
神経は気にすればするほど過敏になります。軽い痛みも、(今日も痛みはどうかしら? 痛いかしら? あ、やっぱり痛い)と、いつも痛みを探り出していると、痛みに対する神経系の感受性が高くなって、ちょっとの痛みでも強く感じるようになったり、普通では全く痛みとは関係ない刺激でも、痛く感じるようになります。
通常の痛覚伝達経路ではなく、脳の記憶や情動に関する活動が起こったりします。つまり「痛い記憶」で痛みを感じるようになるのです。はじめは小さな症状でも、過剰に神経質に反応したりストレスに感じたりしすぎることで、更なる二次的な悲劇を生み出すことも多いのです。
仕方ないものは仕方がないと割り切る。そして受け入れる。
その上で、出現してほしくない現象であれば、できれば死ぬまで体験せずに済ませたい。少しでも遅く、なるべく軽いものであってほしい。
その願いを叶えるためには、予防をしたり改善したりのケアを、さっそく自力で始めましょう。
自分でできることをまずは実行する、と覚悟する。
自分のためにできること、自分しかできないこと、
それは一生ず~っと最後まで自分をかわいがること。
幸せに生きるための土台である健康を維持するのは、自分なのだと覚悟しましょう。
★心身に良いことを実行する素直さを持とう
まず、中年過ぎて出てきた病気や障がいは、心と身体からのサインである、と自覚しましょう。
同じ疾病の遺伝子を持っている人でも、成育歴や生活習慣などの環境、ストレスの有無などによって、発症したりしなかったりするのです。
遺伝子工学の分野でも、食事からの栄養や生活環境、精神面の影響によってオン/オフになる遺伝子スイッチの存在が明らかになりました。
「四〇歳を過ぎたら自分の顔に責任を持て」と言うのは第一六代アメリカ大統領リンカーンの有名な言葉ですが、四〇過ぎたら、顔はもちろん、身体にも自分の生きてきた特徴が現れてきます。
全てのことが「自分が自ら蒔いた種」であり、「自己流で不健康になった」わけですから、心と身体からのメッセージである不健康に対しては「今までありがとう」という感謝と、「使い方を間違えてごめんね。これから気をつけるから、どうぞ頑張ってね」という気持ちを持たないといけません。
そしてここからが本題なのですが、我流で不健康になったわけですから、このまま自己流で良いわけがありません。
素直に、心身に良いことを実行することが必要なのです。
例えば、動かない人も動き過ぎの人も、同じように足腰に障がいが出ることが多いのです。
元々動くのがキライ、苦手という人は、とにかく歩かない、運動もしない、太っているなどの悪条件が重なり、足腰の筋肉が落ちてお腹の脂肪が増え、膝関節の障がいや腰痛を起こします。
運動をし過ぎる人は、中高年過ぎてひざや腰を痛めても、ヒアルロン酸を注射しながらスポーツの試合に出たりしますが、結局ドクターストップがかかり手術をする、というようなケースも多いのです。