読みたいトコだけ買える本。
犬耳書店
初めての方へ 記事一覧 無料登録 ログイン
0
-2
kiji
0
0
1300142
0
ポストコロナの「日本改造計画」 デジタル資本主義で強者となるビジョン
2
0
0
0
0
0
0
政治・社会
お気に入りとは?

お気に入りボタンを押すとお気に入りリストにこのページが追加されます。興味のあるページ・気になったページを後から確認するのに便利です。

お気に入り お気に入り
第4章 デジタル資本主義を加速せよ

『ポストコロナの「日本改造計画」 デジタル資本主義で強者となるビジョン』
[著]竹中平蔵 [発行]PHP研究所


読了目安時間:29分
この記事が役に立った
0
| |
文字サイズ


 今回のパンデミックが終息したあとに来る社会は、ひと言でいうとデジタル資本主義です。デジタルな技術によりビッグデータを活用し、より豊かでより便利な社会を目指すというものです。第四次産業革命により、デジタル資本主義へのシフトは、すでに起こり始めていました。これがパンデミックによっていっきに加速するのです。


 第四次産業革命とは、一八世紀後半の蒸気機関を中心とする第一次産業革命、一九世紀後半の内燃機関を中心とする第二次産業革命、一九八〇年代以降のICT(情報通信技術)を中心とする第三次産業革命に次ぐ革命です。その中心はビッグデータとAI(人工知能)と言われています。


 すでに始まっている第四次産業革命、あるいはデジタル資本主義に備えておかなければ、ポストコロナの時代に、日本はデジタル後進国になりかねません。そうならないための対応が必要で、今のうちに労働法制や教育基本法など、社会インフラの根本的なところを見直す必要があります。政府はもちろん、メディアもそのことを指摘すべきです。


 デジタル資本主義の時代に向けて、まず行うべきは日本が遅れている医療、教育、公的部門におけるデジタル化です。


 先に述べたように遠隔診療は、二〇一五年に閣議決定されています。にもかかわらず、この五年でほとんど進んでいません。その結果、今回のパンデミックでは、医療現場は大きく疲弊・混乱し、医療崩壊すら招きかねない事態となりました。


 新型コロナウイルスの感染者であれ別の病気の患者であれ、軽症者は遠隔診療が当たり前になっていれば、そうした事態は防げたはずです。


 遠隔診療でよく言われるのが、「フェイス・トゥ・フェイス(対面)でないと安心が保たれない」というものです。しかしテクノロジーの進化により、今では画面越しの診察でも顔色をはじめ、かなりのことが正確にわかります。実際に触らなくても、触っているような感覚を得ることさえ可能です。


 体温が何度か、どのような症状が出ているかなど、問診でもある程度のことはわかります。ネットでわからなければ、そのときに直接診察すればいいのです。診察をすべて、ネットで行うという話ではありません。


 教育もそうです。今、教師の事務負担が大きく、授業の準備にまで手が回らないといった問題があります。これに対し、学校の事務業務の中には、デジタル化で解決できる部分もたくさんあります。授業にしても、定型化できるものは、全部動画配信にすれば、教師は同じ授業を、いろいろな生徒に何度もする必要がなくなります。


 授業には大きく、生徒が能動的に学習するアクティブラーニングと、教科書に書いてある内容を教えるだけの受動的な授業があります。アクティブラーニングではある程度教師と生徒が対面することが望ましいですが、黒板に書いて一方的に教えるタイプの授業は、ネットで可能です。


 このやり方で成功したのが、大学受験塾の大手・東進ハイスクールです。講師の授業を動画に落とし込んでデータベース化し、遠隔教育ができるシステムを作り、現役東大合格者数で日本一になっています。


 たとえばその遠隔教育用のノウハウを、全国各地の小・中・高校で活用していく。そんな工夫をすべき時なのです。


 遠隔教育が可能になれば、過疎地の小中学校も廃校にせずに済みます。遠隔教育なら、すべての学年、教科の教師を揃える必要がなくなります。授業の大半をオンラインで行い、生徒を束ねる教師が少数いればいいだけです。


 それなら生徒が少数しかいない学校でも存続が可能で、廃校になった地区の子どもが遠方の学校まで通う必要はなくなります。


 さらに言えば、今回のパンデミックによる一斉休校も、デジタルシフトが進んでいれば、そうせずに済みました。生徒は自宅で、オンライン授業を受ければよかったはずです。


 実を言うと日本において「教育」の大改革を前面に掲げた内閣は、中曽根康弘内閣以降ありません。一九八〇年代後半に行われた臨時教育審議会(臨教審)が最後です。以後、細かい実務的な教育の改革はありましたが、内閣が大看板として教育改革を掲げることは、ありませんでした。


 一方韓国では、一九九七年のアジア通貨危機の時、グローバル教育を中心とする教育の必要性を痛感しました。そこから英語だけで授業を行う高校を作り、たくさんの卒業生がアメリカの大学に入っています。これに対し日本では、この間にゆとり教育は行っても、グローバル教育から目を背けてきました。


 そこには教師の既得権を守ろうとする人々の問題があります。グローバル教育を展開するにはそれを行える能力を持った教師が必要になります。ここで既存の教師は、よっぽど勉強しない限り、対応できません。結果として彼ら彼女らが既得権を失うことになりかねない。だから文部科学省も、グローバル教育を積極的に導入しようとしなかったのです。


 デジタルシフトについても同じです。そのためには、デジタルリテラシーが高い人材が求められます。教師の中でも若い世代は、頑張れば対応できるかもしれませんが、ベテラン世代の一部には難しいでしょう。そして彼ら彼女らの立場を危うくする、と避けてきたわけです。

この記事は役に立ちましたか?

役に立った
0
残り:12068文字/本文:14238文字
この記事を買った人はこれも買っています
      この記事を収録している本
      この本で最も売れている記事
      レビューを書くレビューを書く

      レビューを書いてポイントゲット!【詳細はこちら】

      この本の目次