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トランキーロ 内藤哲也自伝 EPISODIO 3
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ルポ・エッセイ
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CAPITULO.11 逆転の内藤哲也

『トランキーロ 内藤哲也自伝 EPISODIO 3』
[著]内藤哲也 [発行]イースト・プレス


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右目上斜筋麻痺の発覚


──内藤選手は20年の東京ドーム2連戦が終わったあと、19年は右目上斜筋麻痺で苦しんでいたことを明かしていますね。


 最初に「あれ? 目がおかしいな」っていう初期症状があったのが19年の5月くらいで、右目のピントが合わなくなりモノが二重に見えてきたんです。でも、目を細めれば視認できたし、当時は「コンタクトレンズの問題かな?」って深刻には捉えてなくて。とは言え、リング上の相手がボヤけるというか、トップロープを使ったスイングDDTでロープを蹴り損なったりしたので、トレーナーの先生のすすめで眼科と脳外科、耳鼻科で診てもらったんです。でも、原因はわからず、そうこうしてるうちに『G1』に突入して、ますますピントのズレが激しくなってきたというか。そのときは「俺、このまま終わるかもしれないな」ってすごく感じましたね。

──人知れず、引退まで頭をよぎった、と。


 それで9月のシリーズ前に大学病院で検査を受けたところ、右目上斜筋麻痺だというのがわかって。直接的な原因は不明で、おそらく試合のダメージの蓄積みたいですけど。ミラノコレクションA.T.も同じような症状で引退してるんですよね。あの人の場合は俺みたいに目の上斜筋だけじゃなく、下斜筋もやっちゃったのが理由みたいですけど。結局、9月に神戸でベルトを落としたあと、あらためて病院に行ったら「手術をすれば100%には戻らないけど、現状よりは回復してプロレスも続けられる」って言われて。ただ、手術すれば療養期間が必要になるわけで、いまの新日本は長いオフを取るのも難しいし、東京ドーム2連戦も目前に迫ってきてる。だから、最終的には「メスを入れるならドームのあとだな」と思って。

──史上初の二冠王に向けて、手負いの状態で戦い抜くしかない、と。


 そこは覚悟を決めましたね。“史上初”を目指してる俺としては、先に誰かに二冠王を成し遂げられたら意味がないですし。かと言って、ジェイに負けてベルトを落として、ここからどう東京ドーム2連戦にたどりつけばいいかわからなかった。そんなときに、俺の目の前にタイチ選手が現れて。

──内藤選手は1014両国で鷹木選手と組み、タイチ&DOUKI組と対戦。鷹木選手をマイクスタンドで殴打して反則巻けとなったタイチ選手は、さらに内藤選手にタイチ式ラストライドを食らわせると「オマエができなかったこと、代わりに俺がやってやるよ」とアピールし、二冠戦線への殴り込みを宣言しました。それに対し、内藤選手は不敵な笑みを浮かべて退場すると「ハッキリと見えていなかった史上初の偉業への道が、うっすらと見えてきた」とコメントを残しました。


 この年、タイチ選手には2月の札幌でのインターコンチネンタルの防衛戦で勝ちましたけど、8月の『G1』公式戦では負けてたんで、二冠戦線に名乗り上げてくるのも納得できたというか。やっぱり、あの人は自分をいかに目立たせるか、その嗅覚に優れてますよね。それと同時に「これは自分にとっても渡りに船だな」と。

──この1014両国では、後藤選手がジェイ選手へのインターコンチ挑戦をブチ上げました。後藤選手は過去、12年にインターコンチのベルトを巻いたまま、当時のIWGPヘビー級王者のオカダ選手に挑戦。結果は惜敗だったものの、15年にインターコンチ王者だった際にはIWGPヘビーとの統一戦を口にするなど、“元祖二冠提唱者”だったというか。


 後藤選手が元祖っていうのは知ってましたけど、結局は達成することはできず、そのあとも口にすることはなかったし、大きな渦を巻き起こせなかった。で、自分の関係ないところで二冠の機運が高まってきたら、「元祖は俺だぜ」みたいに口を出してきた、と。調子いいなとは思いましたけど、俺が史上初の二冠と掲げたことにいろんな選手が乗っかってきたことが、内藤哲也の考えることがいかに魅力的かという証明でもあったというか。だから、東京ドーム2連戦までの大きな流れを、結果的には俺が作ったっていう自負はありましたね。

──タイチ選手は1014両国のバックステージで内藤選手に「悔しいだろ? ベルトを獲られ、俺にもボコボコにされて。だけど、俺とオマエの仲だ、最後にチャンスを与えてやってもいいぞ」とコメントし、11・3大阪で一騎打ちが組まれることになりました。


 俺としてはタイチ選手を下し、東京ドームでのインターコンチネンタル王座挑戦につなげたいって思ってました。その相手は後藤選手じゃなく、自分が連敗したジェイしか頭になかったです。理想も予想もジェイ・ホワイトでしたね。


因縁のファン投票


──11・3大阪でのタイチ戦ですが、二冠王座戦に向けたラストチャンスということもあり、共に気合い充分でゴング前から激しい乱打戦となりました。

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