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なんとなく、日本人 世界に通用する強さの秘密
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人文・科学
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第二章 日本人のアイデンティティを論理的に考える

『なんとなく、日本人 世界に通用する強さの秘密』
[著]小笠原泰 [発行]PHP研究所


読了目安時間:24分
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世界屈指の文脈依存言語


 日本が経済活動において近代化に成功し、世界第二の経済規模を誇る経済大国であるという事実がある一方で、日本人および日本社会が、その根底において西欧化していないということも自明であり、もはや欧米諸国も、「日本的なるもの」を一元的発展段階論(古典的西欧型近代化論)による単系的な後進性と見なすことはできないという現実がある。グローバリゼーションが進むなかで、異質といわれる「日本的なるもの」を、「日本人のアイデンティティ」として把握・認識することは容易なことではない。マイケル・ジャクソンが日に日に色白になるように、日本人は、日に日に欧米人(アングロアメリカン)に近づきつつあると思うほうが、はるかに簡単である。「自己責任」を声高に叫んで西欧的自立的個人に早くなれと主張することで、問題が解決するのであれば、それほど容易なことはない。


 欧米人を「頭」(=理性)偏重の「頭でっかち」と呼ぶとすれば、日本人を「こころ」(=情緒)偏重の「こころでっかち」と呼んでもいいだろう。「得心」という言葉があるが、日常では、「こころ」というよりは「はら」(「腑に落ちる」というように、「腑」も「はら」と同義で使われる)という言葉のほうがよく使われている。


 たとえば、「はらを探る」「はらにおさめる」「はらを固める」「はらを据える」「はらぎたない」「はらをくくる」「はら芸」「はら癒せ」「はらを合わせる」「はらを割る」など、「はら」という単語を使った心のなかをあらわす熟語は多くある。「はら」には通常「腹」の字を当てるが、考えや心のなかをあらわす場合には「肚」という文字を使うこともある。同じ「はら」でも意味が微妙に違う。

腑に落ちる」とは、論理性(日本人はこれをよく理屈という。理屈という単語にはすでに負の含意がある)において理解・納得をすることではなく、文脈上において感覚的にすっと理解できる(「得心」)ということを意味してはいないか。日本人がよく、「理屈はわかるが、しっくりこない」というのは、まさにこのことを意味している。この文脈というものが、日本人にとっては非常に重要なのである。


 じつは、日本語は、世界屈指の文脈依存言語なのである。印欧語はそれとは対照的に文脈非依存言語である。文脈非依存言語では、センテンスはどのような状況であっても第三者の理解が可能であるという前提がある。しかし、文脈依存言語となると、個々の状況によって、文脈の理解の内容と範囲は自ずと限定される。すなわち、第三者の理解は保証されない。


 日本人が日常的に、いかに文脈によって会話の理解を行なっているかを考えてみよう。日常での例では、「けっこうです」や「いいですよ」という言葉を思い浮かべていただきたい。この言葉は、話の文脈によって、「イエス」にも「ノー」にもなり、その程度の強さも文脈によって微妙に変わってくる。


 じつは、日本人でも、場の共有文脈の微妙さを外してしまうと、どちらの意味かわからないことがあるくらいなので、これには、日本語を学んでいる外国人は頭を抱えてしまう。教える側も、文脈によって判断するしかないとしかいいようがない。少なくとも文脈の外にいるものにとっては、まったくわからない。日本語は、文脈非依存言語としては成り立たない。日本人は、文法とは関係なく文脈で考える。だから日本人は英語で、「はい、違います(Yes, I do not)」や「いいえ、そうです(No, I do)」といってしまうのである。


日本語にとって一人称とは何か


 日本人は「場」という概念(ある基準で境界を定義された集団に時間的観念を入れたもの)をよく使う。その「場」において文脈が形成される。この文脈は「場」ごとに形成されるが、「場」と「場」の文脈に一貫性は必要とされない。後述するが、これが、日本人の論理性に影響を与えている。

場を外す」とは、その場=一時的集団で共有されている文脈からの逸脱であり、「場をしのぐ」とはその逆に、どうにかその「場」を支配している文脈から逸脱しないように努力することである。この意味で、共有される「場」の文脈(暗黙の共通了解)そのものが、個人の主観性を超えて主体性(根源的自発性)をもつといってもよい。日常的な表現を使えば、「口には出さないが、その場の空気を読めよ」という暗黙の圧力である。


 西欧人であれば、「声に出さなければ(主張しなければ)わからないだろう」となる。

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