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なんとなく、日本人 世界に通用する強さの秘密
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人文・科学
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第六章 受け入れるべき事実、打破すべき神話

『なんとなく、日本人 世界に通用する強さの秘密』
[著]小笠原泰 [発行]PHP研究所


読了目安時間:38分
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日本人が受け入れるべき事実


 ここまでで、日本的自己構造とそれに支えられる日本的な思考メカニズムについて論じてきた。この章では、われわれ日本人の基本的な社会行動パターンと、日本人の自己構造および思考メカニズムとの関係を、具体的に検討していくことで、「日本的な」といわれる社会行動に関する態度、姿勢について検討を加えたい。つまり、われわれ日本人が、日常生活で無意識にとっている行動態度、姿勢をまず客観的に認識し、その相対化を通して、われわれにとって「変わりづらい」ものはなんであり、それがなぜ変わりづらいのかという認識を共有化したい。まずこの認識をもたなければ、原因を知らずに、掛け声だけで変えようとするようなものであり、変えようとする努力そのものが時間と労力の無駄となるかもしれないのである。そもそも簡単に変えられるものなのかどうかを認識すべきであろう。


 この行動態度、姿勢を相対化するプロセスは、日本の「ソト」を見る前に、すなわちグローバル環境への適応を考える前に、「ウチ」を見るプロセスである。このプロセスは、グローバル環境のもとで日本社会を最適な形で再構築するために、自己の思考メカニズムを認識することとともにきわめて重要なことである。


 日本的な自己構造と思考メカニズムを前提に置いて日本的な個人と組織の行動態度、姿勢について考えると、「受け入れるべき事実」と「打破すべき否定的神話」とが存在することがわかる。


 それでは、まず以下に挙げた五つの日本的な社会行動に関する態度、姿勢を「受け入れるべき事実」の代表例として、考えてみていただきたい。


安定性を希求し横並び意識が強い

「お上」志向が強く、体裁としての結果にこだわる

個人と組織の責任のけじめがつけにくい

オープンなルールづくりが苦手で、公共意識が低い

契約や制度ではなく、柔軟な解釈に基づいて運用する


安定性を希求し、横並び意識が強い


 日本的な自己確立の過程では、最終的に役割と自己との同一化が行なわれる。つまり、役割の遂行によって自己のアイデンティティが確立され、役割遂行の繰り返しを通して自己アイデンティティの再確認が行なわれる。この役割は当然、ある集団や社会という役割構造を保証する組織システムのなかにおいてしかその存在意義をもたない。それゆえに、日本人は組織システムの維持、強化を通した役割構造の安定化に大きな力を割くのである。


 この安定化に向ける力は、第五章で論じた役割構造をより強固なものとしていこうとする力(役割構造の複雑化と役割そのものの精緻化)と、役割の変化に対して抵抗する力(役割構造の変化に対する強硬な反発)という、二つのベクトルの後者に当たる。このベクトルを考えると、日本人が総じて、構造変革に伴う変化につながる可能性のある「どうしたらできるか」ではなく、既存構造を守る「どうしてできないか」に意識がいきがちなのは理解できるのではないか。丸山真男が述べた現状維持的な「である」ことから改革的な「する」ことへの転換は、社会が進歩(近代化)すれば移行できるというような楽観的なものではないであろう。


 日本人に横並び願望が強いのは、プラスの面でもマイナスの面でも突出を許容することは、集団の役割構造のバランスを壊し、ひいては役割構造の基本的変化をもたらす可能性が高いためである。村八分という言葉は、現在では、いじめのように非常に否定的な意味で使われるが、そもそも、村での制裁であっても、葬式と火事の二分は残したという事実は、処刑してしまう西洋の魔女狩りと比べると、生かしてなおかつ追放せずに組織内に残したという点で、優れて日本的ではないか。


 つまり、日本人が横並びを好むのは、日本的な自己構造と思考メカニズムに起因する、かなり精神構造的なものである可能性が高い。戦後の横並び願望は、一億総中流という幻想のもと、日本社会全体に横並びの共通基準を作ったという点と、平等幻想の結果、横並び願望を嫉妬に近いものに変えてしまった点がユニークであるが、横並びを好む(正確には、突出を嫌う)姿勢の本質は、戦前の地域共同体と戦後社会で大きく変わったわけではない。この突出を嫌う心の性質は、太平洋戦争の敗戦により社会の相補均衡が根底から崩れたにもかかわらず、基本的に変わっていない。しかし、その一方で帰属意識が希薄な組織、集団内においては、横並び意識はそれほど強くはないという側面も忘れてはならない。現在進行中の階層化もこの文脈で考える必要があろう。


 日本人が安定性を強く希求するということは、裏を返せば、安定的な役割構造を保証できない不確実性の高い状況を非常に嫌うということである。バブル不況と経済活動のボーダレス化という一九九〇年代以降の状況は、まさに不確実性の高い状況であり、なおかつ、従来の安定的な企業社会を、政府と企業とが自らの手で崩しつつあるので、日本人全体が心理的に不安を感じ、苛立っているのは当然といえるのではないか。


 不確実性を嫌い、安定性を求める姿勢そのものを変えることは、日本的自己構造と思考メカニズムにかかわることでもあり非常に難しい。その一方で、環境の急速なグローバル化を考えると、個人としては、この安定性の希求と強い横並び意識(突出の忌避)のメカニズムを認識し理解したうえで、不確実性の高い状況で自らを律することが求められている。私の経験からして、このような試みを意識的にすることで、徐々にではあるが、不確実性への耐性は身についていくものである。つまり、いかに不確実性に慣れるかなのである。前向きに捉えれば、現在の状況は、各個人の不確実性をいかに相対化するかを学び、結果として不確実性への許容度を改善するよい機会であるともいえよう。


「お上」志向が強く、体裁としての結果にこだわる

省庁再編や度重なる公務員の不祥事で、霞が関のキャリア主導型官僚システムは地盤沈下を起こしているし、企業もグローバル・スタンダードのもと、株主に対して、体裁ではなく実のある結果を出さなければならなくなってきている。だから、お上志向や体裁重視は過去のものになるであろう」という見方がある。はたして、そうだろうか?


 日本人の特質とされるコンセンサス重視は農業社会に見られる特徴であり、権威の絶対化と集団内での合意とを重視する。けっして日本社会だけに見られる特徴ではない。しかし、役割構造の急激な変革を個人のレベルで避けたがることが、日本社会におけるコンセンサス重視を、より強固なものとしていることも事実である。つまり、役割構造の変革を嫌うという安定志向が、全員一致という大義名分のもとで、個人レベルでの意思決定を避け、誰もリスクと責任をとらないという体質を生んでいる。このような社会にあって、役割構造の変革(それも徐々の)を正当化しうるのは、唯一、上からの「お達し」であり、これが、日本人の「お上」志向を強く支えている。

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