『反日的日本人の思想 国民を誤導した12人への告発状』
[著]谷沢永一
[発行]PHP研究所
日本を経済的侵略国家と断定する詭弁家
坂本義和
昭和2年生まれ。東大卒。東大助教授、同教授、明治学院大教授を歴任。現在、東大名誉教授。ソ連に徹底して諂う“曲学阿ソ”の徒。
昭和二年生まれの坂本義和は、まだ若いので文化勲章には達していませんが、吉野作造賞、毎日出版文化賞、石橋湛山賞などを受け「進歩的文化人」としては最も成功したうちのひとりです。彼は日本の国力が増進するのを憎むこと甚だしく、わが国がアジア諸国に経済的繁栄をもたらしているのが癇に障るものですから、それを経済的侵略であると罵りました。また、日本が途上国から先方の満足する値段で資源を購入している商行為を「支配」と称して攻撃するのです。
噴飯ものの自衛隊廃止論を唱える国際政治学者
自衛隊は要らん、防衛費の支出はやめろ、という類いの自衛隊無用論は、言い古されて一向に珍しくありません。その場合、表向きの言立ては厳正中立論で、要するに、米国撤退と声高らかに雄叫びをあげて独立自尊の感情に訴える作戦でした。
しかし、肚の底の真意は建て前とはまったく別の方向なんです。つまり、日本列島をすっぽんぽんの丸裸にしておいたら、共産主義ソ連が攻めてきやすいだろうと期待する、ひそかなお膳立ての企みでした。
社会党委員長であった石橋政嗣は、ソ連が攻めこんできたら降伏したほうがよいではないかと、『非武装中立論』に降伏の勧めを書き記しています。誰もが胸の底に隠していた秘策を、堂々と自分から公表したのですから、正直は一生の宝と言わなければなりません。
しかし、自衛隊廃止論をもっと巧みな論法におきかえることはできないものかと、ひとひねり工夫を加えたのが坂本義和です。わが国の政府、彼の言葉では憎々しげに「日本の保守政権」と呼ぶのですが、その怪しからん「日本の保守政権」が自衛隊を設置しているその真意は、内乱を恐れている恐怖感であり、自衛隊は内乱を鎮圧するための手段であると、坂本義和は噴飯ものの勘ぐりを大真面目に展開します。
ここには一貫して、政策の貧困を武力の増強によって糊塗しようとする誤りがあり、更にその根底には国民に対する深い恐怖が横たわっている。
(昭和34年8月『世界』「中立日本の防衛構想」)
この人は国際政治学者という触れこみですから、世界中の共産主義政権が判で捺したように必ず独裁の体制をとり、国民を武力で押さえこんでいるのを見て、その観察からこの珍妙な解釈学を思いついたのかもしれません。
仮に、この人がいくぶん国内政治音痴であったとしても、わが国が選挙制度の国であることぐらいは念頭にあるでしょう。ご賢察のごとく日本の政治家諸公は、深く国民を怖れています。しかし、その理由が坂本義和の言うところとはまったく異なります。それは、つまりこういうことです。わが政界では原則として四年に一度、実際には、ほとんどの場合それより短い年月で、必ず総選挙が行なわれ、いったん選挙ともなれば、それまで徽章をつけていた現職議員の三分の一があえなく討ち死にして、いれかわりに三分の一の新人が当選します。それほど熾烈な競争にさらされているのですから、代議士諸公は国民による審判の前に戦々兢々としています。
もし国民に多少の不満があったとしても、一票を行使して政権党を叩きおとすことができるのですから、流血の惨事をともなう内乱を起こす必要がどこにあるのでしょうか。
もっとも、坂本義和もその間の事情をよく知っていますから、内乱は、選挙で多数を占めることのできなかった少数の不平派が起こすものであると想定されています。
もし保守政権の政策が国民の圧倒的支持を得ていると信ずることができるのであれば、保守政治家は何ら内乱を怖れる必要もなく、従って間接侵略の亡霊に脅える理由もない。政府当局者は、自分らが警戒しているのは決して国民一般ではなく、総評や共産党のような「特定の」組織であるというかもしれない。しかし、もし保守政権の政策が国民の圧倒的支持を得ているのにも拘らず仮に総評が内乱を起こそうと試みるならば、必ずや総評はその組織自体の内部から自壊作用を起すことであろう。
(同前)
そうです、そうです、おっしゃるとおりです。だからわが国に内乱は起こりっこありません。それゆえ坂本義和の論理は自縄自縛となるわけです。彼は内乱が起こる可能性がないと論証しました。それは十分によくわかりました。
しかし、「保守政治家」が内乱を怖れているという心理動向については、つまり、連中がびくびくしているという事実については、一向に例示もされず証明されてもいません。
ゆえに、彼がさきに出した政治家恐怖論は、あとから出してきた内乱不可能論によって完全に否定されました。彼はこの世の現実にありもせぬ政治家恐怖論という幽霊みたいな命題をひねくり出し、そのうえで、あれは幽霊だから実体がないと言い立てる、ご苦労な論理の引っくりかえしを演じたにすぎません。