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ヨシキ×ホークのファッキン・ムービー・トーク!
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エンタメ
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第三章 「アンチ・ポリティカル・コレクトネス」の不毛な議論に終止符を

『ヨシキ×ホークのファッキン・ムービー・トーク!』
[著]高橋ヨシキ [著] てらさわホーク [発行]イースト・プレス


読了目安時間:52分
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 2017年10月、大物プロデューサーとして知られたハーヴェイ・ワインスタインによるセクシャル・ハラスメントの実態が、「The New York Times」誌によって暴かれた。実名を出しての女優たちの告発は、ハリウッドの俳優を中心に賛同を集め、世界的に「#MeToo」運動が盛り上がった。また、第91回(2019年)アカデミー作品賞を『ブラック・クランズマン』ではなく、『グリーンブック』が受賞したことで物議を醸したように、マイノリティー差別の問題は、賞レースにおいても、その政治性、コマーシャル性も絡みながら批判の的となっている。


 こうした流れから日本でも、「ポリティカル・コレクトネス」の議論が再燃し、作品や表現に潜む偏見意識、著名人の配慮のない発言が取り沙汰されるにいたった。一方で、こうした風潮に対し、「表現の自由を狭める」という反対意見も聞かれるようになり、〈「コンプライアンス」に塗りつぶされるこの時代。〉〈人間のありのままを見せることは罪でしょうか。〉などと謳ったNetflix制作の『全裸監督』が、人気を集めた。


 では、「ポリコレ」とも称されて語られるPCとは、本当に映画にとって「表現の自由」を狭めるものなのか。作中における、女性やLGBTQ、人種への配慮は必要ないのか。


 とかく不毛な議論、安直な解決策に陥りがちなPCについて、改めて考える。


「ポリコレ」警察VS「アンチ・ポリコレ」派の実情


ヨシキ 1日に使えるお金、100万円くらい欲しいなあ。税抜きで。1000万円だと、なおさらいいなあ。

ホーク 前に俺がそういうことを言っていたら、「君はそんなこと言ってるから、金が手に入らないんだよ」って言われましたよ。

ヨシキ なんだそりゃ、偉そうに。誰だい、それは。

ホーク それ、ヨシキさんに言われたんですよ。

ヨシキ ええっ、マジで?(笑)。

ホーク 飲み屋で「どうしたら金持ちになれるんすかね~、1日5億くらいもらえねぇかな~」とかクダを巻いてたら、「そういうボンヤリしたこと言っていたら、絶対金持ちになれないよ。持ってる奴らは、もっと具体的な金儲けの方法を常に考えているんだよ」って。俺はそう言われて、返す言葉もなかったですね。

ヨシキ 変なことを言って悪かった。撤回してお詫びします。正直、1日5億くらい欲しいからね。

ホーク 当時は俺が、あまりにもずっとそんなことを言っていたので、説教したくなる気持ちもわかります。まあ今も常に、1日5億欲しいと思っていますが。


 ──さて、今回はポリティカル・コレクトネスについてです。2019年のアカデミー賞で、作品賞を『グリーンブック』★1が受賞して、『ブラック・クランズマン』が受賞しなかったことに関して、いろいろと意見を言う人もいましたが、どう思いましたか。

ヨシキ『グリーンブック』はいい映画だと思うけど、アカデミー協会会員の多数を占めているであろう、いい歳した白人エスタブリッシュメント層にとって、「都合のいい映画」であるとの(そし)りは免れないと思う。制作意図のいかんに関わらず、そう機能してしまう映画というのはあって、ケン・ローチの映画なんかにもそういう側面がある。


 社会的な問題提起をする作品で、しかも良く出来ていると、そういうふうに機能してしまうというのは、一種のパラドックスだよね。授賞式のあとの豪勢なパーティーで、金持ちの白人がカクテルグラスを傾けながら、「まったく酷い世の中ですわね、ホホホ」とか言って、「消費」しているかと思うとイライラする一方で、そういうところに映画を通じて一応はメッセージが届いていることを過小評価するべきでもない。難しい。


 ただ、そういう場面が持つグロテスクさについては、常に意識しておきたい。モヤモヤするけど、これは永遠に解決されることのないジレンマなんでしょう。ただ、どんな階層のどんな観客であれ、作品を「消費」してしまうことの危険性は言っておきたい。ホークとはよく話すけど、俺たちが好きな映画を同じように「大好き」って言っている人が、とんでもない差別主義者だったりするのが日常茶飯事だと。弱者の立場に立った映画を観て、「感動」という名前の「消費」をして、それでおしまい。何も受け取らずに、消費の快楽だけをむさぼっている。

ホーク『ブラック・クランズマン』はオスカーを取れなくて、『グリーンブック』が取ったってことに対しては、確かにモヤモヤしますね。そこまで危険でもなくて、そこまで波風も立てないものが、世間に対して何か物申したということで評価される。しかし、社会派としては非常に穏当な部類の『グリーンブック』が賞を取りました、ということに対してさえ、「ああ、またアカデミー賞がポリコレに配慮したんですね」というすごく嫌な言い方があるでしょう。

ヨシキ「ポリコレ」みたいなのは、日本独自のニュースピーク★2だよね。『1984年』的な。「セクハラ」でも「フェミ」でもいいけど、省略することで、その言葉が本来持っていた意味を剥ぎ取って、薄っぺらいものに見せてしまう。「セクハラ」という言葉からは、立場のある人間が、無力な相手を単に性的なだけの存在に(おとし)めたうえで、(しつ)(よう)に性的な嫌がらせを繰り返している……というようなイメージが持ちにくい。


 あと、その「ポリコレ云々」難癖をつけてくる手合いは、決まって「今はなんでもポリコレで、ものが自由に言えなくなった。息苦しい」とか言うけど、これってつまり「のびのびと差別できた時代は良かったなあ」ってことでしょ。南北戦争の南軍の(まつ)(えい)か!

ホーク そうなんですよ。だけど、作り手側とか、商売としてやっている側にも、問題があるんじゃないかと思って。『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』に、ローズって人が出てきたでしょう。あの人は、キャラクターとしての魅力も全然なければ、お話上いてもいなくても全然構わないという問題のある人物で。そんなポッと出のキャラクターがずいぶん出張ってきた、というので、世界中の『スター・ウォーズ』ファンを自認する連中から、袋叩きにあったと。


 それが、演じた女優本人まで攻撃されてですね。そういう物言いの背景には、女性差別やアジア系差別があるんでしょう。それに対しては、「差別すんじゃねえよ!」と思います。ただ、差別はいけないということを、作り手側もまた、己のヘッポコさ加減を覆い隠すためにいいように使っているんじゃないかというですね。

ヨシキ それは微妙な問題。どちらの側にも、作品内のキャラクターや物語上の要請を、自説を強化するために利用したり、あるいは同じ理由で攻撃したりする人がいる。一方で、まさにそういうところに作品自体の問題が潜んでいることもある。1か100かでは分けられない。「これは650円です」って言ったら、「1000円なのか、0円なのかハッキリしろ!」と言われるのに近いよ。ケース・バイ・ケースだし、何より作品が面白いかどうかという視点が欠落しているのが困る。

ホーク 確かに、ローズ役の女優本人には何の罪もないですからね。彼女個人が『スター・ウォーズ』のファンから攻撃を受けるのは、どう考えてもおかしい。ましてやファンでもない、ただ差別したいだけの(やから)から何かを言われるいわれは、一切ないですよね。

ヨシキ 彼女はまったくの被害者だよ。何も悪くない。

ホーク 単純に作り手がヘッポコだったというだけの話ですからね。

ヨシキ 僕はホワイト・プリヴィレッジの恩恵を一番受けているのは、ライアン・ジョンソンとかだと思うけどね。ライアン・ジョンソン個人を攻撃したいわけじゃないけど、才能ある有色人種の監督が、ハリウッドでライアン・ジョンソン級のチャンスにありつける可能性は恐ろしく低い。


 あと『スター・ウォーズ』でいえば、キャスリーン・ケネディ★3の問題もある。彼女がどれほどルーカスを裏切り、ビジョンを打ち立てることに失敗し、フランチャイズにダメージを与えたか、ということで1冊の本が書けるくらいだけど、「それはキャスリーン・ケネディが成功した女だから批判するんでしょう」と言われたら、困っちゃう。一方で、キャスリーン・ケネディを批判することが、業界内における女性の評判全体に波及するなどということは、絶対にあってはならないことだし。

ホーク キャスリーン・ケネディと同じか、それ以上に無能でどうしようもないオッサンも山ほどいますからね。それでも、「これだから男は」とは言われないですね。

ヨシキ「これだから男は」って、もっと言ったほうがいいよ。「これだからジジイは」って。そうやって相対化しないと、どれだけおかしな物言いが日常的にまかり通っているのか、実感できない。


PCの起源は「言い換え」運動から


ホーク でも、「ポリコレ、ポリコレ」ってみんなが言い出したのは、ここ2、3年くらいでしょう。最初は「なんのこっちゃ?」って思っていたんですけど、「ああ、PCのことか」と。ポリティカル・コレクトネス、略してPCについて盛んに話されるようになったのは、90年代初頭からでしょう。

ヨシキ そのくらいから「政治的正しさ(ポリティカル・コレクトネス)」という言葉のついた本が出たりするようになった。

ホーク そのときは僕は、「ハハハッ」と言ってたんですよね、PCという概念に対して。もともとは言葉を言い換えようという話だったでしょう。人種とか、性別とかについての。

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