●利己主義(エゴイズム/セルフィッシュ)
●利他主義
●独我論(ソリプシズム)
●博愛主義
●愛国主義
●人種差別(レイシズム)
●平和主義
●敗北主義
子供は利己主義者か?
じつは、私は「利己主義者」だと言われたことがトラウマ(!?)となっている。小学校から「自分のことしか考えない」「周囲に合わせられない」「協調性が弱い」などと、さんざん言われたものだ。それ以来、利己主義(egoism)と聞くとビクッとしてしまう。
ベテラン教師に言わせると、小学生なんて「本能と欲望の固まり」であって、とりあえず集団生活に慣れるようになるまでが、教育の第一歩であるとか。最近は学級崩壊も進み、立ち歩きはもちろんのこと、あちこちで「泣かした」「泣かされた」という緊急事態が起きる。そもそも、自分の感覚の満足しか求めていないのだから、他人の事情など気にかけない。だとしたら、子供が自分のことしか考えないことはあたりまえだ。私も、そのような幼き利己主義者の一人だったのだろう。
もちろん、大人は「もっと他人に思いやりを持ちなさい!」などと叱る。しかし、その言葉にはたして効力があるか、いまでも気になる。なぜなら、「思いやり」とは自分の「思い」を相手に「遣る」。つまり、相手を自分と同じように考え、相手が嫌がることは控える、またはしたいと思うことをかなえてやる利他主義(altruism)の意味だが、そもそも「相手が自分と同じ」とはどうして保証されるのか、当時の私にはまったく分からなかったからだ。
たとえば、相手の頭をポカンと殴る。相手は泣く。そのとき「自分も殴られたら嫌だろう。だから、これからもう殴るのをやめよう」などとは思わない。むしろ、相手が泣くとおもしろい。だから、もっと殴る。この場合、殴る「私」は主体だが、殴られる「相手」は客体。完全に別の存在になっているから、「思いやり」なんてできっこない。もちろん、自分が殴られて「悔しい」と思う場合もあるが、その後は、「この次はやっつけてやるからな!」と復讐の念に燃える。「自分が痛かったから、相手も痛いだろうな」なんて殊勝な考えは生まれない。それなのに、なんで大人たちは、性懲りもなく同じことばかり言うのだろう?
思いやりが可能になるには、相手と自分の同等性が必要である