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組織の盛衰 何が企業の命運を決めるのか
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ビジネス
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第六章 これからの組織──変革への五つのキーワード

『組織の盛衰 何が企業の命運を決めるのか』
[著]堺屋太一 [発行]PHP研究所


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戦後型組織の終わり


 一九八九年十一月、「ベルリンの壁」が破られたことで、社会主義陣営は崩壊、冷戦は終焉した。これによって、長かった「戦後」という時代もまた終わった。このことは、「戦後型組織」の時代が過ぎ去ったことをも意味している。


 世界の冷戦構造と社会の工業化に特色づけられた戦後には、これに対応した数々の組織が発達した。核戦略に適応した米ソの軍事組織もその一つだし、それを支えた欧米の軍需産業やソ連の諜報機関もその一つだ。これらの機関の特色は、先端技術を重視し、経済性を軽視して来たことだ。欧米の軍需産業の民需転換には、この発想を逆転しなければならないという困難な問題がつきまとっている。


 東西いずれかの陣営から軍事経済援助と政治宣伝支持を得て来た発展途上国の独裁政権も、冷戦が生んだ戦後型組織の一つといえる。東側陣営の支援を得ていた東欧やアフリカの社会主義独裁政権が次々に倒れたのも、環境変化への不適合のためだろう。


 日本の政界もまた、世界の冷戦構造を矮小化した構造を持っていた。ここでは「自由社会を守る」ことを党是とした自由民主党と、「社会主義革命を目指す」という綱領を掲げた日本社会党などが、形式的な議論と選挙運動を繰り返すことで、閉鎖的な「政治業界」を形成していた。冷戦構造の終焉と共に、日本の政党が思想の欠如と組織的な欠陥を露呈したのも不思議ではない。


 しかし、われわれにとって最大の問題は、日本の官僚機構と企業組織もまた、「戦後型」にできており、戦後の終焉と共に大変革を迫られている、という事実だろう。日本の官僚機構は、世界の冷戦構造を最大限に利用して外国からの批判をかわし、業種別縦割り型の生産者優先行政を強化して来た。つまり、昭和十六年以来の国内システムを堅持して、その国際化を拒否し続けていたのである。外国(特にアメリカ)からは、しばしばこの仕組みの孤立性と排他性を指摘されたが、冷戦構造の中では日本を敵に回すこともできず、結局は実効の少ない形式改革で妥協した。日本が「経済大国」となったあとも、各官庁が「護送船団方式」の生産者保護行政を維持できた条件の一つは、東西対立冷戦構造だった。


 日本の企業組織は、こうした世界構造とそれが生んだ官僚主導体制を前提として、規格大量生産の確立と中期的安定を志向する産業社会の体質と気質を作り上げた。終身雇用・年功賃金を核とする「閉鎖的労使慣行」と、労働分配率と株式配当を低く抑えて内部留保を厚くする「先行投資型財務体質」と、権限を分散して雰囲気で意志決定を行う根廻し主義の「集団的意志決定方式」との三つを特色とする日本的経営がそれである。


 一九八七年頃からはじまった「バブル景気」は、こうした日本的経営が生み出した究極的な虚像だった。官僚主導の下で、円高差益を社内利益に取り込み、猛烈な先行投資志向で土地や株式を買収し、新株やワラント債の発行で低金利資金を集めて膨大な設備投資を行った。そしてそこには、高値をいとわぬ企業の交際費や旅費宣伝費の支出を前提とした需要の伸びも期待されていたし、「みんながやっているから安心だ」という集団主義的発想もあった。日本経済は無限に成長し、土地と株は必ず値上りし、個人消費は確実に増え、コストは必ず価格に転化できるはずだった。だが、今やこれらすべての「はず」が怪しくなっているのである。


 経営環境の大変化


循環から革質へ


 今、日本経済は深刻な不況に見舞われている。それを端的に表しているのは、株や土地の値下りと取引高の激減、企業利益の減少、消費需要の低迷の三つである。このことは、今回の不況がこれまでの景気循環的な調整とは別種のものであることを示している。


 戦後四十五年の間は、一貫して高度成長を続けて来た日本経済にも、「不況」といわれた時期は何度もあった。そしてその都度、「高度成長は終わった」「日本経済の転換期だ」と叫ばれたものだ。しかし、景気は間もなく回復、全体として見れば日本経済の高度成長は続いた。発展業種の交替や成長要因の変化などはあったが、戦後の日本の特色である官僚主導型業界協調体制と日本的経営とは強化される方向に進んでいた。つまり、日本経済の「戦後」は続いたのである。


 これまでの「不況」は、その原因が単純かつ明確だった。一九五〇年代、六〇年代の「不況」ないし景気調整の主因は、「外貨の天井」だった。資源が乏しく設備が不十分だった日本で、経済の高度成長が続くと、先行型の設備投資が過熱して輸入が増大、国際収支の悪化から引締め政策を採らざるを得なくなったのである。


 しかし、それはやがて解消される。労働分配率を低目に抑え、株式配当を極端に抑圧する日本的経営では、経済の成長に比べて個人所得は伸びが遅い。つまり、日本人は働くほどには使わない仕組みになっていたのだ。これではいつか生産過剰になり輸出超過になるのを避けられない。一九七〇年代に入ると日本の貿易収支は黒字基調が定着、「外貨の天井」は解消した。むしろこの頃から、国際収支の均衡を目的とした輸入拡大内需振興が重要な政策課題となる。一九七〇年代初頭の「列島改造ブーム」は、内需拡大のために極度に金融を緩和し、行政主導による投資促進を強要したことから起こった現象である。


 七〇年代から八〇年代初頭にかけての二回の景気循環の原因は、「石油」だった。七三年秋からの石油ショックは全日本を仰天させ、「列島改造ブーム」に冷や水をぶっかけたし、七九年からの第二次石油危機は、日本のみならず全西側諸国に悲観主義を拡めた。


 石油危機とは、原油価格の上昇によって世界的な価格体系の変更と国際間の所得移転を強要する現象である。石油をはじめとして多くの資源農産物を輸入に頼る日本では、原油一バーレルにつき十ドルの値上りがあれば、二百億ドルないし二百五十億ドルの資金が流出するのだから、これだけでも相当な景気引締め効果がある。これに、石油価格の上昇に伴う物価高騰を抑えようとする財政金融の引締め政策が加わり、不況の中で物価が上がるスタグフレーションが起こった。


 こうした現象を目の前にして、日本でも「高度成長の時代は終わった」という転換期説や構造変化説が盛んに語られた。しかし、これもまた、海外要因によって起こった引締め効果からはじまったという意味では、「外貨の天井」と同種の循環といえる。価格体系の変化や消費者心理に与える影響などから、成長業種の交替や技術評価の変更はあったが、日本社会の体制と企業組織の変革を強いる要因ではなかったからだ。


 従って日本政府と日本企業は、従来通りの対策によって、二回の石油危機を乗り切ることができた。即ち、省力化、省資源、省エネルギーによる生産の合理化、新技術の積極的導入と輸出の増加による生産量の拡大、官僚主導型業界協調体制によるコストの国内価格への転化である。日本人が、日本型産業政策と日本的企業経営に強い自信を持つようになったのは、これによって二度の石油危機を克服した結果だった。


 一九八〇年代には、もう一度、一九八五年から八六年にかけての「円高不況」があった。生産の合理化と規模拡大によって石油危機を克服した日本経済は、一九八三年以降、石油価格の下落とアメリカなどの自由化好景気によって膨大な貿易黒字を記録しはじめた。この結果、為替レートの大幅調整が必要となり、一九八五年秋からは僅か一年半の間に一ドルが二百四十円台から百二十円台になるという劇的な円高が起こった。一つの国の通貨が、国際基軸通貨に対してこれほど急激な上昇を示した例は、世界の歴史にも珍しい。


 当時は、これによって日本の輸出は大打撃を受け、経済の成長と企業の利益が削られると騒がれたが、結果はまったく逆になった。前述のように官導型業界協調体制と日本的経営の複合作用で、輸入原燃料の円建価格の低下分や生産合理化によるコスト引下げ分が、国内小売価格にまったく反映されず、企業の内部留保に取り込まれたからである。

円高」は、「外貨の天井」や石油急騰とは違い、単純な海外要因による引締め効果ではなかったが、日本社会の官導体制と日本企業の経営方針を変更させる圧力でもなかった。むしろ、円高を乗り切るのに大いに効力を発揮した官導体制と日本的経営が、一層の自信を持って一段と強化される形になったのである。


 その意味では、バブル景気に燃えた一九九〇年までは、日本経済の「戦後」は続いていたといってよい。国全体として見れば、昭和十六年以来の官僚主導型業界協調体制が強化されていたし、個別企業で見れば昭和三十年以降の特殊戦後型の日本的経営が維持されていたのである。


 しかし、今回の不況は、これまでと同じ景気循環にとどまらず、日本経済の本質を(あらた)めるものだ、といってよい。官導体制と日本的経営との変更革質を迫る要素が、実に多いからである。


戦後経済の三つの「神話」


 一九八九年末、「ベルリンの壁」が破られて東側社会主義陣営は崩壊、東西対立冷戦構造は消滅した。それと、ほぼ時を同じくして日本経済のバブル景気も破綻、戦後型の日本的経営が問い直されるようになった。世界構造の面でも日本経済においても、八〇年代で「戦後」は終わったのだ。


 もっとも、冷戦構造の終焉と日本経済のバブル崩壊とは、直接的な因果関係はない。いやむしろ海外要因ではなく起こったことが、今回の「平成不況」とこれまでの戦後型不況との相違点だといってよい。九〇年からの景気後退は、「外貨の天井」でも石油の高騰でも、為替の変動や海外不況による輸出の停滞でもなく、日本国内での株価と地価の行き過ぎた上昇が自重に耐えかねて崩落したことからはじまった。当初、それは循環的な価格変動のようにも見えたが、実は、これによって日本経済の「戦後」を支えて来た経営環境が根底から崩れはじめていたのである。


 官導体制と日本的経営に彩色された戦後の日本経済には、三つの神話があった。第一の神話は「土地と株とは中長期的には必ず値上りする」という「土地・株神話」だ。このことは、土地か株さえ担保にすれば金融はまったく安全なことを意味している。だから、企業は土地か株さえ持っていれば資金を借入れることができたばかりか、六、七年を周期として含み資産を増やし金融力を拡大することもできた。

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