『美とリベラルアーツ 美意識を高め、創造性を育む』
[著]阿部博人
[発行]PHP研究所
ゲーテと『ファウスト』
ゲーテは『ファウスト』を二十四歳で書きはじめ、死の前年に八十二歳で書き終えました。『ファウスト』は伝説の錬金術師ファウストを念頭に、それまでの民衆本や人形劇などを踏まえ、ゲーテが生涯をかけて書き及んだ大作です。ゲーテは第二部の構想について五十年来(正確には六十年以上)熟考してきましたが、「ちょうど若いときに、銀貨や銅貨の小銭をたくさん持っていた者が、一生のあいだにたえず値打ちの大きいお金と両替をつづけて、最後には若いときの財が純粋の金貨に化けるのを見るようなものだね」と語っています。(注一)シラーに励まされ、シラー亡きあとはエッカーマンに励まされ、『ファウスト』を書き続け、長い年月をかけてまとめられた第二部を「純粋の金貨」にたとえています。
『ファウスト』のテーマは、近代社会あるいは市民社会における人間とは何か、ということです。この大きなテーマの下、さまざまな論題が描かれ、それらの解釈をめぐって今日なお多くの議論がなされています。ゲーテ自身は『ファウスト』について、こう話します。
あれはとんでもない代物で、あらゆる日常の感覚を超越しています。……ファウストは、じつに珍しい個性の持主だから、その内面の状態を追感できる人は、ほんの僅かしかいません。メフィストーフェレスの性格にしても、皮肉のせいで、それに偉大な世界観察の生きた結果でもあるために、やはりなかなかの難物です。……『ファウスト』には、「とてつもなくはかりしれないようなところがある。悟性を武器にしていくらあれに近づこうとしても、無駄な話だよ。(注二)
作者が作品について自ら解説するのは、珍しく、その理解の難しさについて、次のようにも説いています。
第一部はきわめて主観的だ。すべてのことが、より内攻的で、より情熱的な一個人に由来しているが、その男の心の暗い影が人々の意にかなったのだろう。それにひきかえ第二部にはほとんど主観的なものがない。そこにあらわれる世界は、より高次な、より広大な、より明るい、より冷静な世界だ。それは、あまり苦労もせず経験もしなかった人には理解できないだろうね。(注三)
欲望と契約
ファウストは哲学、法学、医学、神学のすべてを究めるも満足せず、学問と人生に絶望し、なお宇宙の秘密を究めたく切望します。実は、財物や金や栄誉にも未練があります。そのように煩悶するファウストは魔法の道に足を踏み入れます。そこに、黒いむく犬となって、悪魔メフィストーフェレス(以下、メフィスト)が現れます。そして、死んだら魂を渡すという契約をメフィストと結び、世界を冒険し、この世の享楽を体験し尽くすことになります。契約は紙幣と同様に、近代の社会と経済を成り立たせるものです。ゲーテの近代への慧眼が、この場面でもうかがえます。
本章では愛についてのグレートヒェン悲劇と美についてのヘレネー悲劇を取り上げます。
ファウストはギリシャ語で書かれた聖書をひもときドイツ語に訳そうとしますが、「はじめに言葉ありき」の言葉というものをそれほど尊重はしないと、「はじめに意ありき」と考えます。しかし、森羅万象を創り出すものは意だろうかと、考え直しますが、いや「はじめに力ありき」としなければならないかとした時に、何者かがそれでは不十分とファウストの耳元にささやきます。そこで、「はじめに行いありき」と思いいたりました。ファウストは行動します。本書では高橋義孝訳を引用させていただきます。
マルガレーテの部屋
ファウストは魔女の薬で若返ります。魔女の台所の一面の鏡に、美しい女性が映っています。ファウストは鏡を見て、感嘆します。
この魔法の鏡には、/なんという気高い女の姿が映っているのだろう。/……こんなに美しい女体があろうか。/一体、女というものはこうも美しいものだろうか。/このゆったりと身を横たえた姿は、/諸天の精髄ではあるまいか。/この地上に、かくも美しいものがあろうとは。
メフィストは「あの薬を飲んだからには、女という女がヘレネーのように見えてくるのさ」とつぶやきます。
若返ったファウストは、街頭で美しく敬虔な少女マルガレーテ(通称グレートヒェン)をみそめ、「美しいお嬢さん、お家へお送りしましょう」と声をかけるも、「令嬢でもなく、美しくもありません」と断られます。メフィストにあの娘をなんとかしてくれとせがみます。