『人を幸せにする話し方』
[著]平野秀典
[発行]ディスカヴァー・トゥエンティワン
ドラマティックと聞くと、私たちは「劇的な」という意味で、この言葉を認識していて、一般的には、「激しい変化」「すごい出来事」「予想だにしない急展開」を連想します。
でも、劇的という文字は、「激的」とは書きません。
演劇の劇の字が使われているのです。
ドラマティックとは、激しい何かではなく、「演劇的な」要素を持った何かという意味なのです。
では、演劇的とはどういう状態なのでしょう?
舞台上に、何らかの「ドラマ」が生まれている状態であり、そのドラマは、何らかの変化をきっかけに展開するストーリーから構成されています。
貧しい人がお金持ちになった。
孤独な男が恋愛をした。
退屈だった人が感動した。
心を閉ざしていた人が心を開いた。
状態の変化と感情の変化、二つの変化がストーリーを生みだし、ドラマを盛り上げていきます。
いつの時代も、感動的なドラマには、人は引き付けられ、生きるエネルギーをもらってきました。
600年前に、天才能楽師世阿弥によって書かれた能の秘伝の書『風姿花伝』にも、「感動とは珍しき花なり」と、明記されています。
人の心に思いもよらぬ感動をもよおさせるやり方、それが花。珍しき花。
四季折々に咲く花は、四季折々に咲くから、美しく感じる。
同じ花が1年中咲いていたら、それは何の感動もないという意味です。
たしかに、感情が高まった体験、感動した出来事には、なんらかの珍しさ=思いがけなさがあったことを思い出します。
思いがけない親切を受けたとき。
思いがけない笑顔に出会ったとき。
思いがけないプレゼントをもらったとき。
思いがけない勝利に沸いたとき。
感動体験とは、何の変化もないように見える予定調和の日常に生まれる、予定外の思いがけなさというドラマなのです。
そんな視点で、仕事や日常を見る方法を、私は「劇的視点」と呼んでいます。
劇的視点では、日々出会う人は、同じ舞台を演じる共演者という存在になります。
家族という共演者。
友人という共演者。
お客さまという共演者。
ご近所という共演者。
同僚という共演者。
言葉を交わすだけでも共演者。
「人生は舞台。人は皆役者」
ウイリアム・シェイクスピアの戯曲『お気に召すまま』の中で言われたセリフのように、私たちの人生はまさしく舞台で、出会う人は皆、その舞台の上で一生懸命演じている役者仲間なのです。
ちなみに、共演という縁がどれほどの確率になるか、考えてみましょう。
私たちが日々出会う人の数は、人によって違うのでしょうが、57億人の人間が暮らす地球上で出会う確率を考えてみれば、かなり希少な数字になると思います。
その確率に、同じ時代に生きているという確率を掛け合わせたら、想像を絶する確率になることがわかります。
同じ時代に同じ国に生まれる確率。そもそも一人の人間がこの世へ生まれてくる時の確率……。
今日、当たり前にいる目の前にいる人は、奇跡のような確率で出会っている人なのだということに気づきます。
人と人の出会い自体が、すでにかなりドラマティックなのですから、縁があって出会う共演者は、「強縁者」ということになりますね。
この認識はとても大切です。
すごいことをやることが重要なのではなくて、この奇跡的な確率で起こっている「すごい出会い」をどう生かすかの方が、圧倒的に重要なのです。